なぜ許せるのですか?

なぜそんなふうに人を許せるのですか?


田口ランディさんの講演会 で先日お聞きした、
「お兄さんの死と、認知症のお父さんが流した涙」。
あの時、本当に伝えたかった事が、今回のブログに書いてありました。


わたしが一番聞きたいと思っていたことでした。
郁代がランディさん、河野義行さんに会わせてくれたんだと、
胸がいっぱいになりました。


ランディさんのブログはとても重くて、深いものでした。


「どうしてですか? なぜそんなふうに人を許せるのですか?」
「なぜと言われても。
私は人生で何度か死ぬような目にあっているのです。
それでわかったのです。
人は死ぬと。どう生きても死ぬと。
だとしたら、
この短い人生で人を恨んだり憎んだりしているような暇はないんですよ」


「それは理屈ではわかる。でも、いくらそう思っても、どうしようもなく恨んだり憎んだりしてしまうのが人間でしょう?」
「それはまだ、自分がずっと生きられると錯覚しているからではないですかねえ。自分が死なないつもりだから、
そういう無駄なことに気持ちを向けるんでしょう」


「そうかもしれません。確かに。
私はふだん死なないような気持ちで生きていると思います。
ずっと、生きていることを前提で生きているように思います。
でも……、それでもやっぱり納得できません。
河野さんの奥さんは寝たきりになってしまいました。
そのことが悲しくないはずはありません、
奥さんをそのような身体にした人を恨まないはずがありません」


「恨んで、どうなるんですか? そんなことをしても妻は元気にはなりませんよ」
「そうだけれど、やはり、私だったら、恨むと思います。
憎むと思います。殺してやりたいとも……」


「それで、田口さんは相手を殺しますか……」
「わかりません……。苦しむと思います。相手に苦しんでほしいと思います。
同じ苦しみをあじわってほしいと願うと思います」


「なるほど。でもね、私はこう思うんです。
どんなに他人を欺くことはできても自分の心は欺けない。
人を殺したら、殺した本人が一番わかっているんです。
自分のやったことを自分はすべて知っています。
だから、他人が裁く必要はないんですよ。本人が自分を裁きます。
自分を裁けるのは自分だけなのです。私はそう思っています」


「自分を裁けるのは、自分だけ?」
「そうです。どんなに他人をごまかしてうまくやっても、
最期の最期には自分がすべて知っているのです。
どんな生き方をしたか、どんなことを他人に対してしてきたか、
すべて自分がお見通しなのです。
それをごまかしていても、死ぬときにはすべて思い出しますから。
だから私はそれでいいと思っているんです。
なにをやったか、自分がすべて知っているのだから、
その人は自分で自分を裁くでしょう」