親鸞を終えて

手さぐりでの1年間             五木寛之


 お疲れさまでした、といろんな人にいわれる。
ことに旅先の各地で、見知らぬかたから声をかけられることが多い。
 これまで何度となく新聞の連載小説を書いてきた。
しかし、こんどのように読者から親しげに労をねぎらわれるような体験は、一度もなかった。
 あらためて「親鸞」を毎日、読んでくださっていた未知の読者の存在を、しみじみと実感させられたものだった。
 

 1年間の連載のあいだ、いちばん気にしていたのは、
体調と事故のことである。
 先輩作家のなかには、
1ヵ月分の原稿をストックしているかたもいらっしゃる。
1ヵ月どころか、
ほとんど書き終えたあとで連載開始を迎える作家もおられるらしい。
 私は新人のころから原稿がおそいので有名だった。
締め切りの前後には、印刷所の校正室で徹夜するのが常だった。
 

 そんな私にとって、日々の読者に作品を読んでもらう新聞連載は、
大変な緊張をともなう仕事だった。
 うかつに風邪ひとつひけない、という1年間が終わったとたんに、
3日ほど声もでない原因不明の状態におちいり、
ほとんど寝たきりですごした。
 とりあえず最後の回の筆をおいたあと、しばらくは呆然と無為の時間をすごしたい、と思っていた。
 

 しかし、1年間の連載の切抜きを前にして、
さまざまな思いが私のなかを去来してやむことがない。
 

 あらためて考えるのだが、1つの物語が世の中に送り出されることは、
目に見えないさまざまな縁の驚くべき複雑な暗号の結果である。
 正直なところ、
私は自分が一つの小説を書いたなどとは、毛頭思ってもいないのだ。
 えらそうな言い方をすれば、
他力のしからしめるところ、ということになるだろう。
 目に見えない大きな力、つよい風が私をそこに運び、
新聞という広い舞台で自分でも予期しなかった世界に投げだした、
という感じがしてならない。
 

 私は親鸞の評伝を書こうとは思わなかった。
自分が親鸞の生きた時代の空気を呼吸し、
想像のなかで自由に動きまわる物語を語っただけである。
 多くの人びとから教えを受け、誤りも指摘していただいた。
読者のかたがたからたくさんのお便りも頂戴した。
そしてなによりも毎日の連載を楽しみにしています、といってくださる読者の声にはげまされて、やっとたどりついた1年だった。
 

 いずれ日をあらためて、機会があれば親鸞の後半生をぜひ書いてみたい。そういう機会に恵まれるかどうかは、みずから計らうことではない。
他力の風を待ちながら学んでいくしかない。
 無事に連載を終えたことが、正直にいって奇蹟のように感じられる。
新聞社の皆さんと、読者のかたがたに心からお礼を申し上げるとともに、
いつか再び新聞紙上でお会いする日をひそかに願っている。
ありがとうございました。         2007/9/16Wed.中日新聞朝刊


五木さん、ありがとうございました。