親鸞の海

親鸞流罪の地、越後の居多ヶ浜を訪れたのは、
今から3年ほど前でした。
20人ほどのグループ旅行でした。



親鸞聖人とお供の二人を描いた
親鸞聖人居多ヶ浜御上陸の図」のレリーフ




この居多ヶ浜には、
聖人が越後を去って関東へ行かれるときに名残りを惜しみ、
関東の方向になびいて片葉になったとされる、
越後の七不思議のひとつ「片葉の葦」が生育しています。




およそ財力や権力などとは無縁であり、
大地をはいつくばって生きている民衆と共に、
親鸞は七年の間、越後で暮らしました。


「如衆水入海一味(にょしゅうしにゅうかいいちみ)」
の一味平等の海でありながら、親鸞は、
群生海(ぐんじょうかい)
苦海(くかい)
死海(しょうじかい)
本願海(ほんがんかい)
大信海(だいしんかい)
大智海(だいちかい)などと言い表わされています。


その広深な本願海の深さは、
死海である私たちの苦悩や悲しみの限りない大きさや深さなのでしょう。