阪神大震災から15年



郁代が神戸の大学生の時、教育実習で担当した教え子からの作文が残っています。    


大浦いくよ先生へ    
         三年五組    村原じゅんこ

大浦先生が初めてわたしたちの教室に来た時、
私はやさしそうな先生だなあと思いました。
あってから何日かすぎてわたしは、給食の時間、
「大浦先生、もうみんなの名前おぼえた?」と聞きました。
大浦先生は、「もう、ほとんどおぼえたよ」と言いました。
わたしは、「じゃあ、わたしの名前は何でしょう?」と聞きました。
大浦先生は、「村原じゅんこちゃんだよ」と言いました。
「ピンポーン。大正解だよー」とわたしは言いました。
おぼえていてくれたので、とてもうれしかったです。
ドッチボールなどで遊んで楽しかったけど、もうお別れですね。
短い間だったけど、本当にありがとうございました。
さようなら。りっぱな先生になってね。


青春時代の四年間を過ごした神戸。
大学時代に住んでいた東灘区が、
阪神大震災で最大の被災地となったのは卒業した翌年のことでした。
15年前の今日でした。


とても胸が痛む1日でした。