仏さま

新聞の悩み相談が深く心に残りました。


相談者  40代の主婦
人はどうして義理の親の面倒をみなければならないか、
理由がみつかりません。
同居し、つらい思いをして、心の病気にもなりました。
宗教的な視点からお答えお願いします。


回答   車谷長吉
人は他の生き物を殺し、それを食うて生きています。
直接殺さないでも、食べている人には一人残らず深い原罪があります。
看取りをするのが厭なら、逃げ出す意外に道はありません。
逃げ出せば、ホッとする、と同時に、
いまよりさらに苦しい思いをしなければならないでしょう。
人間としてこの世に生まれてきたことには、一切の救いがありません。
救いを求めるさもしい心はありますが。
だから人は、四国お遍路へ行ったりするのです。
私も嫁はんと歩いて行きました。


現実に四国お遍路に行って、一番救いを感じたのは、
お遍路さんが通る山道を、
小さなスコップ・手鉤(かぎ)などで補修している、
初老の人に出会ったことです。
毎日、一人で黙々と遍路の手入れをしているようでした。
話しかけようとしましたが、
手を休めようとしなかったので、
頭をさげて通り過ぎ、仏さまに出会ったような気がしたので、
あとで木の陰に隠れて土下座をして拝みました。
それを思い出すと、今でも涙がにじみます。


あなたさまのお悩みを読んでいると、
あなたさまを含めてご一家の人には、救いはないと思います。
それを覚悟なさるのがよいと思われます。
         (一部省略)


身を切られるような悲しみや怒りも、
根本原因(苦源)はわれわれ人間の無知(無明)の結果に過ぎない

との仏の声が聴こえてくるように思いました。