ヤン・ファーブルと舟越桂展

ヤン・ファーブル舟越桂展を見てきました。



本展は現代美術をリードする作家の大規模な二人展であると同時に、
それぞれの創造の源泉を歴史的名画に表れた宗教的図像のなかに探り、
21世紀の人間性とは何かを考えようとするものです。
ベルギーに生まれたヤン・ファーブルは、
15-16世紀フランドルの宗教画と呼応しながら、
自身の血で描いたドローイングや動物の骨や剥製など、
有機的素材から成る彫刻によって矛盾に満ちた人間の存在を問いかけます。


一貫して楠の木彫に取り組む舟越桂によって生み出される異形の人間像は、        現代を生きる人間の内面を雄弁に語り、
日本文化の一大変革期である幕末明治の観音像にみられる
日本人の複雑な心情や死生観との共鳴を示します。

                   (金沢21世紀美術館HPより)



ヤン・ファーブルの動物の骨や剥製、
天童荒太の「永遠の仔」「悼む人」の装丁でもよく知られている、
舟越桂の異形の人間像が深く語りかけてきました。

・・・人は哀しい、哀しいものですね・・・
なぜか悲しくなり涙が出てきました。


いつも「男」を見上げていたのですが、
21世紀美術館の屋上の作品「雲をつかむ男」が
ヤン・ファーブルの作品だったこと、
はじめて知りました。
この作品の物語にも興味が持てました。





本作品は、『終身刑』(1961年 米国)という映画から着想を得て制作されました。
この映画は、監獄に入れられた主人公が独房で小鳥を飼い、
鳥類学者となった実話に基づいています。
映画の終わりで研究の自由を剥奪された主人公が、
「今後は何をして過ごすのか」と問われ、
「雲でも測って過ごすさ」と答えましたが、
作品のタイトルはその台詞からきています。
また、この作品は作家の身体を型どりしていますが、
そこには、彼の双子の弟の死を契機に制作されたという背景もあります。
人間の生と死、そして、自然科学と「雲を測る」という詩的な行為など、様々な要素を併せ持つ作品です。
                   (金沢21世紀美術館HPより)