最期の時間に

何年か前までは、
終末期を迎えた病人に対し、家族は一分一秒でも延命の努力をすることに懸命でした。「とにかく入院して治療を続けて!」
医療関係者も患者にとって過酷な医療行為を最後まで続けることが多かったように思います。
そこには病人自身の願いが優先されなかったこともあったでしょう。


亡くなった郁代は、
「残された時間にやりたいこと」を真剣に考え実行しました。
動けるときはいいとして、
動けなくなっても最期の時まで病床から友人に会い続けました。
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「仲良しだった人に何も言わないで亡くなったらその友人が、
『私だけ知らなかった』とずっと落ち込むでしょう」
といっていました。
“郁代がいなくなることで世界にぽっかりあいた穴”を、
生きている間に埋めるような行為でした。


がんで家族を亡くされた方が県外からも何人か訪ねて来られました。
「あなたにあえてよかった」を読まれていました。

一人は、
「郁ちゃんにあえて本当によかった。
“もう治療はやめたい。最期は幼いわが子と一緒に家で過ごしたい”
という嫁の願いを聞いてあげれました。
それまでは、“幼な子のためにどんな治療をしてでも一秒でも生きてほしい”と家族は思っていたのです。
でも残された大切な時間を、
母親が一番やりたいように使うことができました」


こう言われた方もおられました。
「主人は自分の立ち上げた愛着のある会社へ、ぎりぎりまで顔を出し続けました。本を読まなかったら、主人の気持ちも考えず、
“もう仕事をやめて病院で安静にしていてほしい”
とそれだけしか考えなかったでしょう」


郁代はこれからも、いろんな方と会い続けることでしょう。