懐かしのオーストラリア

郁代のお別れの旅は海外からはじまりました。
12時間のフライトに耐えるには、この時(2005年2月)が体力の限界です。
病気が再発するまで八年間過ごした懐かしのオーストラリアへ。


この時、どこで、どなたにお会いしたのか私は全く知りませんでした。
会社の名前も、お友達についても、
現役時代にはオーストラリアのことはくわしく聞いていませんでした。
「お母さんに言っても、わからないでしょう」
と生前よく言っていた郁代です。


後日、部屋に残されていた「赤い手帳」のメモから、
オーストラリアでお会いした方々がわかりました。
「あの時、私も会ったのですよ」とメールを下さった方がいたり、
オーストラリアから我が家へお参りに来てくださった方から直接お聞きし、
この時、30人ほどの方にお会いしていることがわかりました。



24時間テレビ1
24時間テレビ2

を見られたオーストラリアの皆さんは、
「郁ちゃんがあんなに辛い病状で会いに来てくれたのに、
テレビではカットされていましたね」
と不満だったようです。


時間制限のある番組作り、あの時は本当にごめんなさい。