柔らかく優しい時間




「明日保育園の運動会だから、見に来てね」
シドニー滞在中の頃、
姪のあいちゃん(3歳)が国際電話を掛けると、
「う〜ん」・・・郁代は返答に困っていたものでした。


病状が進んでも幼い者たちにはわかりません。
姪たちの前で郁代は普段通り振舞っていたので、
「かくれんぼしよう」とせがまれ、一緒に相手していたものの、
それも次第に辛くなりました。

  
「郁ちゃん元気やがいね!それならオセロしよう!」と、可愛いいのです。
クイズ好きのさやちゃんは、 
「岩の間に鹿のいる県は何県でしょう?」
???
「答えは、いしかわ県でした」と、みんなをなごませてくれました。
さやちゃんの口ずさむきれいな歌声が聞こえて、
家の中にはいつも優しい時間が流れていたのです。


緊迫した大人たちとは別世界の、
柔らかで優しい光に包まれていたから、
家の中にはいつも温かい風が吹いていたのでした。


「あなたにあえてよかった」に載っている、
「100本の花」が私は大好きです。


・・・・・

一階の介護用ベッドへ移った日、大きな、大きな、お見舞いの花籠が届いた。
それは会社の上司、エディさんからの贈り物だった。
「でっかい花束にびっくりした!」
お礼の電話を掛ける郁代の声が元気にはしゃいでいたから、本人がもう歩けない身であることを、エディさんは想像できなかったに違いない。
お花の周りには、冬を迎えるシドニーからの涼しい風が吹きわたっているようで、郁代はシドニーの皆さんを懐かしんだ。
連日の猛暑の中、「早く涼しくならないかなあ」と言っていた郁代への最高の贈り物だった。
姪のさやちゃん(小学二年生)が一本、二本、三本…とお花をかぞえて言った。


    「ちょうど、100本あったよ。
    お花のしゅるいは13しゅるい。
    オーストラリアで100人の人が、
    郁ちゃんの病気が治るよう、いのってくれているんだね。
    100人の人が、お花を一本ずつこの花かごに、
    挿(さ)していってくれたんだね」


「100本も数えられるなんて、さやちゃんすごいね。オーストラリアで、ひとりひとりが花を挿してくれたんだね」
姪と話し合える時間は、郁代にとって楽しくかけがえのないものだった。
だが、この日を境にして「さやちゃん、あいちゃんに会いたい」とは、二度といわなくなった。

・・・・・

さやちゃんは几帳面なのです。
お花は本当にちょうど100本ありました。


幼な子たちの存在の大きさを、
郁代の病気の時ほど感じたことはありませんでした。


「もう会えない」と言ったのは、
「いつまでも元気な郁ちゃんをおぼえていてほしいから」でした。