五右衛門風呂

終戦まじか5歳のころ、
建物強制疎開田舎へ避難しました。
路上に置いたドラム缶の五右衛門風呂に、
近所の子供たちと一緒に入りました。


東北震災で 五右衛門風呂  




そのまま疎開先で住みつきました。
小学校4年生だったかなあ、
5歳下の弟を教室に座らせて授業を受けました。
子守しながら・・・が許されていたのですね。
休み時間になると、
「静かにしておりこうだったね」といって、
先生が飴ちゃんを弟にくださいました。


その頃の両親の苦労を、深く考えたことがありませんでした。
もっと聞いておけばよかったと悔やみます。



震災メッセージ
★ 避難生活が長引けば被災者はもっとしんどくなります。
そんな方々の「何で?」という疑問符を、
できる限りなくすことが社会の使命です。
「何で薬や食料がないの?」という疑問は物資が届けば解決する。でも


「何で私が生き残ったの?」という疑問はなかなかぬぐえない。


そんな心にどう寄り添うのか。
芸術が必要になる時が来るかもしれません。
   深津篤史さん (阪神大震災で実家が全壊 避難所暮らしを経験)