自分は偽物だ



小判草ゆれる、私の歩く「この道」には、
クルミの殻が・・・。
車に轢かせたクルミを、ここでカラスがたべたのかな?






新聞連載「親鸞」(五木寛之・作)134 は、
このように続いていました。


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そのとき不意に親鸞の心にひらめいたのは、
〈捨身〉という言葉だった。
〈捨身〉。
それは、仏をたたえ、人びとを救うために、自分の身を捨てる行為である。
飢えた虎の母子を救うために、われとわが身をなげだして自分の肉をくらわせた物語を、親鸞は幼いころにきいたことがあった。
 〈中略〉
法然上人は、そのような行(ぎょう)を、決して認めることをしなかった。
ただ無心に念仏して浄土に往生する、それだけを語りつづけて、ついには遠流(おんる)に処された。


親鸞はその師の教えを一筋に信じ、きょうまであゆんできたつもりでいた。
しかし、じぶんの中には、じつはぬぐってもぬぐいきれない、さまざまな古い観念がすみついて消えることがない。
それらをすべてぬぐいさって、念仏に帰することは、どれほど困難なことであるか。
頭上に十字名号(じゅうじみょうごう)の旗がひるがえってから一瞬のことだった。
人びとの目には、
ほんのつかの間、親鸞が呆然とたちすくんだように見えただけだろう。
 しかし、その時親鸞は、かつておぼえのないほどの大きな衝撃に打たれたのだ。
 自分には法然上人の弟子を自称する資格などなかったのだ、と、
親鸞は感じた。
自分は本当の念仏者ではない。偽物だ。


三十三歳のとき、法然上人から『選択本願念仏集』の書写を許されたことで、すっかり思いあがっていたのではないか。
 捨身、という過激な行に対する憧れは、いまも自分の中に根づよく生きている。
そのことに気づかなかったおのれは、なんという小賢しい偽念仏者だろう。

 
 親鸞は、突然、台座の床に身を投げて嗚咽した。
人びとは、あっけにとられてそんな親鸞をみつめている。
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