『親鸞聖人七百五十回御遠忌法要』
白鳥路・前田利家公之像公園
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、
すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」
近くのお寺で、 毎年繰り返しお聞きした御講師のお話。
「ここに『歎異抄』全体の中心があり、
親鸞聖人の正しい信心の内容があるのですよ」
とのお気持ちがひしひしと伝わってきたものでした。
わたしでさえ、この部分だけはすらすらと口ずさんでいるのですから。
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歎異抄 第一章
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。
そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへにと云々。
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五木寛之「親鸞」からも、
そのような熱い思いが伝わってくるように思います。