よろずの仏に見はなされた人びとをこそ


五木寛之さんからの熱いメッセージが聴こえてきます。
新聞連載「親鸞」(五木寛之・作)164よりの抜粋です。


(前略)
親鸞の幼いころ、さまざまな出来事が続いた。
大火があり、疫病がはやり、合戦がおこり、地震があった。
さらに歴史にのこる大飢饉もおそった。
人びとは生きるために戦い、殺生をかさね、だましあい、
争いあってその日を生きなければならなかった。
世間で悪とされる行為を、だれが避けることができただろうか。


そして人びとは死後の地獄をおそれた。
無間地獄の恐ろしさを世にひろめたのは、仏門の僧たちである。
生きて地獄。
死んで地獄。
救いをもとめて仏にすがろうとすると、よろずの仏は皆、
さしだされた人びとの手をふり払って去っていく。


おまえたちのような悪人を救うことはできない、と。
去っていく仏たちを見送り、呆然とたちすくむ人びとにむかって、
法然上人はこう力づよく語りかけたのだ。


〈よろずの仏にうとまれたものたちよ。
あれを見よ。
すべての仏たちが去っていくなかを、
ただ一人、こちらへむかって歩いてこられる仏がいる。
あれが阿弥陀仏という仏だ。
よろずの仏に見はなされた人びとをこそ救う、
と誓って仏となられたかたなのだ〉