未知の世界へ

新聞連載「親鸞」激動編(五木寛之・作)204より転載しています。



未知の世界へ(4)


善光寺は、東国でひろく人びとの信仰を集めた名高い寺である。
親鸞善光寺のはじまりが、国や貴族たちによって建立された寺ではないことに深い関心をいだいていた。
それは世間の庶民大衆の信仰によって古代からながく栄えた寺である。
また善光寺聖とよばれる半僧半俗の人びとの、各地をめぐる勧進によっても支えられてきた。
浄寛には、念仏の伝統が生きているともきいていた。
常行堂では、念仏衆が常行三昧をつとめているという。
常行三昧とは、念仏をとなえ、阿弥陀仏を思いえがきつつ、
堂内をめぐる行である。
親鸞比叡山にいたころ、この常行三昧を堂僧の仕事としてつとめていたものだった。
原崎浄寛にさそわれるまでもなく、親鸞はかねてから善光寺を訪れたいと、ひそかに思っていたのである。






はじめて目にする善光寺は、その広大な構えもさることながら、
各地から数多くの熱心な参詣者が集まってきていることにおどろかされた。
ひさびさにみる寺の活気である。
原崎浄寛は、どうやら善光寺の護衛役として大きな役割もはたしているらしい。
浄寛(きよひろ)の知友である善光寺の役僧の熱心なすすめもあって、
親鸞は家族とともにしばらく善光寺に滞在することになった。
                            (後略)