エディーさんから

梨畑の周辺には用水が流れていて、
トンボがすいすい飛んでいました。



郁ちゃん
今年もシドニーの会社の上司エディーさんから、
命日のメッセージが届きましたよ。
エディーさんは大きい会社の幹部の方なのに、
毎年のことで、1年も欠かしたことがないのです。
無名の部下への温かいお心遣い、私には考えられないことで、
それだけで胸がいっぱいになります。


今年は命日が日曜日で会社が休みだったので翌日でした。
エディーさんの指示で、秘書の斉藤さんが送ってくださいます。
会社ではイクさんと呼ばれていたんだよね。


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大浦さん
ご無沙汰をしておりますが、お変わりありませんでしょうか。 
昨日は郁さんの命日でしたね。
今朝もエディーさんと郁さんの話で昔を懐かしみました。
最近はチームに1人新しい人を採ろうと面接をしたりしてますが、
エディさんはその席でも郁さんの話題を出すほどです。


3月の震災以来、
原発の問題も先行きが見えないような状態で日々大変な事とは思いますが、どうかお体にお気をつけてご自愛下さい。
エーオン
斉藤
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「1年間の約束」と両親に言い残し、
ワーキングホリデイでオーストラリアへ渡った郁代でした。
仕事の条件は短期間のアルバイトのみです。
応募したアメリカの企業で、
その時採用してくださったのが上司のエディーさん。
ワーキングホリデイ1年間の期限切れ、
という時点で正式採用になったのです。
仕事は厳しくも、娘のように可愛がってくださっていました。


日本で胃の手術をした後仕事復帰した郁代に、
身体のことが気にかかり、私は頻繁にメールを送っていました。
郁代からもメールが。


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お母さん、メールありがとう。
月曜日から仕事に戻ったけど、会社で仕事している方が家でごろごろしていた頃より調子が良いです。
エディさんも、
「身体が一番大事だから、絶対仕事で無理しちゃだめだよ。
しんどかったら言ってね」
と言ってくれるので、残業せずに毎日五時過ぎに帰宅しています。
夜は十時には寝て十分睡眠をとっているし、
朝は野菜ジュースとお弁当を作っているよ。
玄米ご飯も炊いているし…ご安心下さい。          
                      2004年5月
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その頃、エディさんからメールを頂きました。
療養中の郁代をよろしくとの手紙を差し上げていたので、
そのお返事でした。
エディさんはかつて長く日本に住んでいられ、日本語がお上手です。



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先日は、大変ご丁寧なお手紙を頂きまして有難うございました。
恐縮しております。
この度のこと、ご本人にとっては勿論のことですが、
ご家族の方たちにとっても大変ご心配の事だったと思います。
幸い全て上手くゆき、あとは毎日の生活に気をつけていれば大丈夫との事、こちらの社員一同、皆でほっとしています。
これからも、何かあれば我々で出来ることはさせて頂くつもりです。
郁代さんは仕事はよくやって頂いています。
私にとって、彼女が仕事のインタビューに来たのが、ついこの間のような気がします。
最近こちらの法律が変わり、我々客に接する社員は、保険の新しい資格を取らなければならなくなりました。
そのための試験と提出書類を皆でやらなければいけなかったのですが、
その成績が、郁代さんは何百人いる社員の中で首席で通し、
私の鼻が大変高かった事がありました。
郁代さんが現在持っている社内での信頼や立場、そして我々全員の彼女に対する気持ちは、彼女自身が今まで培った結果です。


私も娘と息子を持っていますので、いつも子供が心配な親の気持ち、
分かるつもりです。
これからも皆で気をつけて、何かあればご連絡させていただきたいと思います。                         2004年6月
エディー
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                    「あなたにあえてよかった」より




ほとんどの社員にとって母国語の英語は、郁代にとっては外国語だったのですから、ハンディを乗り越えての毎日だったのですね。


エディーさん、メッセージ本当に有難うございました。
病気のお見舞いには、100本のお花を贈って下さいましたね。
八年間お世話になったシドニーは、郁代のふるさとなのです。