業のふかい身


新聞連載「親鸞」激動編(五木寛之・作)228  より転載しています。


山と水と空と (14)


歳のころは23、4、というところだろうか。化粧はしていないものの、堅気の暮らしではないことが一目でわかる女だった。
「そなたは?」
と、親鸞はきいた。
「わたしは、船宿で遊女として稼いでいる女でございます。
他国から流れてこの地へやってまいりました。
好きで卑しい仕事についたわけではございません。
親と家族のために身を売って、生きてまいりました。
でも、いまの暮らしがつくづくいやになり、何度も死のうと思いながら、それができずにすごしております。
(中略)
「死ぬのがおそろしい、のは、なぜかの」
と、親鸞はきいた。女はきっと顔をあげて、いった。
「こんな業(ごう)のふかい仕事をしていて、罰があたらぬわけがないじゃありませんか。
わたしは地獄へおちるのがこわいのです。子供のころ、お坊さまが地獄の絵をみせて、話してくださったことがありました。
生前、罪ぶかい暮らしをしている者は、死んだら地獄へおちる。
そう思うと眠っていても胸が苦しくなってまいります。
親鸞さまは、念仏をとなえたら地獄へいかずともすむと教えておられるのでしょう?
その念仏をいただきたくて、こうして恥をしのんでやってきたのです」
「身ぃ売る女が、地獄さいぐなら―」
と、中年の日焼けした女が大声でいった。
「その女を買う者(やろ)たちも、みんな地獄さおじるにきまってっぺ」
笑い声がおき、そうだ、そうだ、と同意する女たちの声もわきおこった。
「業のふかい商売というなら、われらも同じことだ」
と、香原崎淨寛が大声でいった。
「そこにおられる宇都宮家の武士がたも、そうであろうが」