わたしなくして仏なく

全休さん
「至心・信楽・欲生を三心といい、如来廻向の信心を表しています」
を届けてくださって有り難うございました。
「わたしなくして仏なく、本願なくしてわたしの救いもない・・・」
のお言葉に、なんだかほっとしました。
難しそうですが、ただ、聴きつづけようと思います。


以前に近くのお寺で、講師の方が三心について何度も熱心にお話されていたこと、思い出しました。
このようなお話でした。
「至心信楽というのは南無阿弥陀仏のまことについて一点の計らいもない純粋無雑の自覚をあらわしています。
一点の人間ごころの影すらないような心、
人間が南無阿弥陀仏を信ずる心ではなく、
それこそ南無阿弥陀仏が人間の上に実現したこと、
宗祖はこの心を如来の心であるとして、他力の信心といわれるのです」