煩悩にまみれ





書店には、講談社の広告が・・・
親鸞 激動篇」 1月発売
新聞各社(全国44紙掲載)も、独自に編集した「親鸞 激動篇」を1月に発売するようで、「予約受付中」と出ています。
いよいよクライマックス、これからが楽しみです。


〈心に欲望を抱き、殺生をかさね、名利にあこがれて生きている〉
親鸞のつぶやきは五木さんご自身の声でもあるようです・・・。




新聞連載「親鸞」激動編 278(五木寛之・作)より転載しています。
 風雨強かるべし(11)


(前略)
〈しかし、自分はそうではない〉
親鸞法然上人に接するたびに、常に自分が法然上人とはまったくちがう罪深い人間のように感じられてならなかったのだ。
法然上人は、すでに煩悩の境を越えられていた〉
現生の煩悩を超えたということは、もはや一人の覚者(ブッタ)といえる存在である。
法然上人は、末世にあらわれた仏であったのだろう。
だからこそ自分は、その声によって目ざめ、
その教えにしたがって生きようとしている。


しかし、と、親鸞は思う。
〈自分は法然上人とはとがう。
煩悩にまみれ、あさましい欲望をおさえることができない人間なのだ〉
そのような人間を、凡夫という。
心に欲望を抱き、殺生をかさね、名利にあこがれて生きている。
そして世間の人びとは、みな自分と同じ凡夫であるといっていい。
法然上人の念仏は、聖人が凡夫をすくう念仏だ。
しかし、自分の念仏は―〉


それは凡夫同士が、
ともにすくわれようとする泥まみれの念仏ではないのか。
思うだに恐ろしい考えである。
しかし、親鸞はその疑いをふり払うことができない。