まことの信を得るためには
兼六園の今
瓢池(ひさごいけ)の翠滝(みどりたき) 海石塔(かいせきとう)
「親鸞」激動編 330(五木寛之・作)より転載しています。
出会いと別れ(11)
「その本当の信やらを得るためには、どうすればいいのでございますか」
「わからない」
「いまのわたしに、わずかにわかっていることは、まことの信を得るために自分自身をみつめることの大事さだ。
このわが身の愚かさ、弱さ、頼りなさ、それをとことんみつめて納得すること。
それができれば、おのずと目に見えない大きな力に身をゆだねる気持ちもおきてくるのではあるまいか」
「きょうのお話は、生涯、決して忘れませぬ」
と、平次郎はいった。
「なにか少し目が開いたような気がいたします。
きょうからは、平次郎という名前はすてて、
念仏僧、唯円として生きるつもりでございます。
ありがとうございました。南無阿弥陀仏」
(後略)
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今日の〈聞其名号信心歓喜〉より
仏智をいただいて、
自身が罪悪深重の凡夫であるとの自覚を生ずることが仏教のすべてです。