支えあって生きる

いまも赤々とサルビア




父の言葉を受け止めた凌平さんの思い、
忘れないでいたいです。
中学生の孫と一緒に読みたいなあと思いました。




支えあって生きる      社団法人日本新聞協会会長賞
              埼玉県本庄市立本庄南中学校1年
                  林 凌平


基本的人権の尊重。
今までの自分が人権について知っていることと言えばこの言葉ぐらいだ。
日本は,世界に比べれば平和で安全な国だし,自分もその国で,何不自由なく幸せに暮らしていた。そうあの日までは・・。
三月十一日の東日本大震災は,たぶん日本の歴史に残る大きな災害だ。
教室の後ろに掲示してある歴史年表にも,いつか刻まれることと思う。
ぼくは,その被災地に住んでいた。
地震で建物が壊れたりしたものの,家族や友達,地域の方々に亡くなった人はいなかった。


しかし,地震の後の原発事故のため,ぼくと家族は家を離れ,友達や親しい
人たちと別れなければならなくなった。
生まれ育った故郷を離れなければならなかったのだ。
人権をおびやかすもの。
戦争や紛争,貧困,差別や偏見,環境破壊など,今までの自分にはなんの興味もなかったことだった。
まだ戦争や紛争中で,子供たちの命が危ない国があることも,戦争は終わったけれど,貧困のため食べるものがなく,病気になっても満足な治療も受けることができない国があることも社会で学習した。
テレビでそんなニュースを見れば,かわいそうだと思ったし,争いがよくないことも分かっていた。
しかし,それは自分にとって,遠い遠い国の出来事で,自分の心を痛めるよ
うなことではなかった。


まさか自分たち家族が,家を無くし,日本中を転々と
移動しながら,目に見えない恐怖におびえ逃げまどう避難民になろうとは,想像もしていなかった。
避難所では,配給のおにぎりを妹と半分にして食べた。
薄い毛布にくるまり,寒い夜を過ごした。
ラジオのニュースを聞くのが,とても怖かった。


避難先でぼくと妹は,父に言われたことがあった。
「これから先,もしかしたら,おまえたちは差別を受けることがあるかもしれない。福島は被曝という厳しい現実と向き合わなければならないからだ。心ないことを言う人がいても我慢をしていこう。
そういうときこそ,人の本当の温かさが分かる。
人とのつながりがどんなに大切か分かるはずだから。
周りをしっかり見ていきなさい」


その時は,父の言葉の意味がよく理解できなかった。
いつになく真剣で,悲しそうな父の顔が印象に残っただけだった。



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