悲しみの極みの至福の時間

近所のモクレン芽吹く







「念仏の人だった義父さん、がんで亡くなられた娘さん
お二人が遺された言葉に導かれてお幸せです。
目をぬらしながら読んでいます」
全休さん 有難うございました。


「お幸せです」の言葉を頂き、


「あなたにあえてよかった」にも、同じような会話があったなあと思ったのです。


「オーストラリアにいたら、離れ離れだったけど、
病気になったら一緒にいられて良かったでしょう?お母さん」


「一緒にいられて、お母さんは毎日がとても幸せだよ」



それは、
『悲しみの極みの至福の時間』
“感謝と許し”
のページで、昨日の内容をすぐ遡った物語となるのです。


・・・・・
7月12日
「ねむれない…ひどいなあ…」
初めて私のひざに身を伏せる郁代を、抱きしめる。


発病以来ずっと、だまって耐えてきた。
次々と襲いかかる身体の変調に。
時間を限られて生きることの悲しさに。
今まで、希望を失わず、自分を崩さず、郁代は前を向いて歩いてきた。


思えば、郁代がオーストラリアに住み始めた頃のことだった。
「飛行機代あげるから、時々帰っておいで。
お母さんが会いたいから」
「一度甘えたら、自分が崩れて保てなくなるの。
海外での一人暮らしは、気を引き締めていないと、やっていけないのよ」
お金を渡そうとする私にそう言って、
郁代はそのままそっと押し返したことがある。


もう、無理しなくてもいいんだよ。いくちゃん。



7月15日
「心配かけてごめんね」
郁代が深く何かを覚悟しているように思えた。
別れの日を意識した心の整理をしていると思った。
「少しでも、楽にさせてあげたい」と私はいった。
「ごめんなさい」
この後、何度も聞くことばとなった。
             *亡くなる、ちょうど1か月前に当たります。


7月17日
「何かたべる?」と聞くと、郁代は、
「何も食べない。命を延ばすことで転移が起こり、骨が痛くなったらいや。水分点滴もやめたい。自然の状態にまかせたい」
と言って、自分の考えをはっきり示すのだった。


「お父さん、お母さんは一日でも長く生きてほしいよ。
一日でも多く一緒にいたいんだよ。
なぜいくちゃんがなったの?
お母さんの代わりに病気にならなくてもよかったのに。
お母さんは充分したいことしたんだから。お母さんでよかったのに…」


「私も充分したいことをしたよ。
お母さんにはなってほしくなかった…。
死ぬのは怖くないけど、痛いのはいやだなあ」


「オーストラリアにいたら、離れ離れだったけど、
病気になったら一緒にいられて良かったでしょう?お母さん」


「一緒にいられて、お母さんは毎日がとても幸せだよ」
・・・・・


悲しみの極みにも、幸せがあったことを有り難く思います。