「煩悩具足の凡夫」

物語の海へより





「あるがままに」で一度ふれました対談、
発売日から少し時間が経ちましたので、もう少し詳しく載せさせていただきます。


震災から1年、私たちが試されている 
              その導きにであえたから今の私たちがある 
今井響流×大平光代 
「生き残された」あなたへ   親鸞の言葉を贈りたい
           「婦人公論」(4月7日号)より抜粋


・・・・・
大平  仏教と向き合うようになったのは、2度目の脳腫瘍手術後ですね。
今井  ええ。支えになる言葉がほしくて、入院中に宗教書を読み漁りました。
    そのなかで、親鸞の「絶対他力」の教えを知りました。
    「他力」とはあらゆる者を救わずにはおかないという阿弥陀仏の願い
    (本願)のこと。そして、その願いの通り、
    私たちはすでに救われていると親鸞はおっしゃった。
    もともとの私は「自力」というか、がんばったり努力したりするのが
    好きなんですよ(笑)。
    そんな私の胸に、教えがスーッと入ってきたのです。
    がんばって念仏を唱えたから救われるのではない、
    むしろその逆で、自分はもう救われているのだと気づいたとき、
    自然に念仏が口をついて出てくるのだと・・・・・。


今井  親鸞の教えが響いた瞬間というのは、どういうときでしたか?
大平  じつは司法試験に受かった29歳の頃から『歎異抄』を何百回となく
    読んでいたのです。
    しかし、その真髄についてはわかりませんでした。
    教えが私のなかに入ってきたのは、それから10年経って
    大阪市の助役を辞めた直後です。
    当初、私のなかには「一生懸命に改革しようとしたのは
    すべて子どもたちのためだ。私利私欲はまったくないのに」と、
    他者に理解されないことへの怒りでいっぱいでした。
    その頃、友人の別荘に行く機会がありまして、
    山道を歩くと、眼下に西日に照らされ水面がきらめいている琵琶湖が
    見える。もっとよく見ようと近くの近江舞子駅のプラットホームに移って
    眺めていたとき、
    突然、「煩悩具足の凡夫」という声が聞こえたのです。
今井  煩悩に満ち満ちている私たちは、
    どんな修行によっても迷いの世界を離れることはできない、
    という親鸞の言葉ですね。
大平  その瞬間、世のため人のため、子どもたちのためにとやってきたけれど、
    本当はがんばっている自分を認めてほしかっただけではないか。
    弁護士として昼も夜もなくやってきたのも、
    すべては人からよく見られたいだけ・・・・
    そう思ったら、フッと力が抜けました。
    そのときに私は「はからい」をすてたのだと思います。
    私たちは困難にであったとき、
    「自力」によるはからい―「努力」で何とかしようとします。
    でも、乗り越えられないこともままある。
今井  はからいを捨てたとき―別の言い方をすると、
    前向きにあきらめる―生かされることがあります。
    卵管破裂でいくつもの病院から断られた私が、
    不思議なご縁に導かれて命を助けていただく結果になったのも
    まさにそうでした。
    大阪医大の執刀医は、当日予定していた手術が直前にキャンセルになり、
    たまたま体が空いていたと聞きました。


大平  東日本大震災から1年、今井さんは現地に行かれたそうですね。
    大切な方々を亡くされ、
    「自分だけ生き残った」と苦しんでいる方もいらっしゃいます。
    今井さんは3度死線を乗り越えて
    「生き残された」意味をどう考えていますか。
今井  「私だけ生き残った」と思っていたときは、
    病気の私は親にもきょうだいにも迷惑ばかりかけている、
    自分にできることはあれへんと、
    生きている自分の役割を見失っていたのです。
    それが親鸞の教えにであい、私は阿弥陀仏の光のなかにいる、
    つまりすでに救われている。
    だから今日死んでもええ。
    だけれども「生き残された」のは役割があるからだと気づきました。
大平  その役割とはなんですか。
今井  「有縁を度す」(うえんをどす)ことだと思っています。
大平  『歎異抄』のなかにある
    「まずは縁の深い人から次つぎに救うことができる」
    という言葉ですね。
今井  縁ある人々に教えをお伝えしていくことが私の役割だと気づかされ、
    それが現在の生きる糧になっています。
    かつての私と同じように
    「生き残ってしまった」と思っておられる方々には、
    家事でもボランティアでもどんなものでもいいので、
    ご自分の役割を見つけていただきたい。
    そうやって暮らしていくなかで、
    「この役割を楽しみ、自分をやわらかくするために、私は生き残された」
    と実感できるときが訪れるはずです。
大平  家族や友達など、
    大勢の人に囲まれていても孤独を感じてつらいことがあります。
    でも、つらい思いをしているあなたは決して一人ぼっちじゃない。
    生き残されたあなたは、
    いつも阿弥陀仏の光に包まれているのだとお伝えしたいですね。


*おおひらみつよ  1965年兵庫県生まれ。
 弁護士として活躍するかたわら、2003年から2005年まで、大阪市助役を務める。
 就任中、中央仏教学院通信教育部専修課程を受講し卒業する。
 11年より神戸常盤大学短期大学部客員教授。 
*いまいこうる   1974年大阪府生まれ。  
 24歳のとき脳腫瘍を患い、闘病生活のなか、中央仏教学院通信教育部に入学。
 2010年2月に得度。
 現在は、おもに老人ホームや児童養護施設などで、
 アニマルセラピーというセラピー活動を行っている。

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全休さんの「聞其名号信心歓喜」より、今日は
「往相還相」 に遇わせていただきました。


    弥陀の回向成就して
    往相還相ふたつなり
    これらの回向によりてこそ
    心行ともにえしむなれ
                    (高僧和讃

ただ、お聴きするばかりです。
有り難うございました。