旅の目的地は何処だろう

        窓を開けると再びの淡雪が




いつも温かく郁代に寄り添って下さる「畑のかえるさん」が、
お知り合いの仁昭寺住職、江角先生のお話を紹介してくださいました。
交通事故で亡くされた最愛の娘、真理子さんへの想いが語られています。


畑のかえるさんは、
「 わたしには、mikutyanさんと江角先生、
郁代さんと真理子さんの「共通点」が感じられてしかたがないのです。
みなさん、聡明で、まじめで、おやさしくて、人生の意味、意義を深く求めておられて・・・」と、書いて下さってありました。
有り難うございました。


仁照寺のリンク集「江角真理子のページ」で読ませていただきました。
江角先生の次のお言葉が心に残りました。



「先だった命」 より
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「私たちは、人生の旅をしている。
旅には目的地があるはずだ。私の旅の目的地は何処だろう。
いままでは目的地を考えずに、ただ日々を追われて送っていた。
やがて死ぬ定めにある人間にとって「死」は目的地ではないだろうか。
「死」とは一体何なのか。それは「命」とは何であるかを考えることになる。
 考えてみれば、私が結婚する前は、真理子はいなかったのである(この世にいないから「空」と言っても良いだろう)。
結婚し4年後に、二女として家族の一員となった(この世に現れたから「色」と言っても良いだろう)。
そして約1年前忽然とこの世からいなくなった(「空」となった)。
毎朝の勤行で読んでいる般若心経に有名な言葉、「色即是空、空即是色」がある。
「色(形あるもの)」は「空」そのものであり、
逆に「空」は「色」そのものであると述べてある。
真理子にとって、
時間的な経過で言えば、空即是色・色即是空であるかもしれない。
つまり真理子は、空から現れ、色となり、そして空に帰ったのか。
その空とは何なのか。空を単なる実体のないものと単純に考えてはいけないのでしょう。 それは、おおいなる世界、おおいなる命、Something Greatness、浄土などと呼ばれているものなのかもしれません。
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「真理子よ、返事がほしい」より
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真理子よ、
「人間にとって、もっとも大切なものは何か」の返事をいつの日か送ってほしい。
 法句経に、
「人として生を受くるは、難く、やがて死すべき身の、今命あるは、有り難し」
とあります。
私たちは、全く自分の意志と無関係に、
たまたま人間としてある両親のもとに生まれてきたわけですね。
そして今、命があるわけですね。有り難いことですね。
真理子は、今、命がないんですよ。
本当に人間に与えられているのは「今」しかないと思います。
今を切に生きることしかないと思う。
そして、「死と向き合って生きてほしい」と思います。
これはちょっとかたぐるしい言葉ですが、もっとくだけて言えば、
「自分はどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」
という問いを抱きながら歩んでいって欲しいと思います。
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郁代からの手紙が届いたと思いました。
ありがとうございました。