あたりまえ


井村和清医師は、
愛する妻、幼い長女飛鳥ちゃん、そして愛する奥さんの胎内に宿る小さな命を遺して癌のため32歳の若さで亡くなりました。
なくなる前に書かれた詩があります。



「あたりまえ」


こんなすばらしいことを、 みんなはなぜよろこばないのでしょう。


あたりまえであることを。


お父さんがいる。
お母さんがいる。


手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせばなんでもとれる。 音が聞こえて声がでる。


こんなしあわせはあるでしょうか。


しかし、だれもそれをよろばない。
あたりまえだ、と笑ってすます。


食事が食べられる。
夜になるとちゃんと眠れ、
そして、また、朝がくる。
空気を胸いっぱいにすえる。


笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走り回れる、みんなあたりまえのこと。


こんなすばらしいことを、 みんなは決してよろこばない。


そのありがたさを知っているのは、 それをなくした人たちだけ。


なぜでしょう。あたりまえ。



             「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」より



最初の発行が1980年1月、その時の感動は忘れません。
郁代が病気になったころ、待望の文庫本に。
「あたりまえ」は郁代の気持ちそのまま、深く胸に迫りました。
今読んでも涙がでてきます。


井村和清(イムラカズキヨ)
1947年、富山県生まれ。日大医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務。
1977年11月、右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右脚を切断。
しかし、腫瘍は両肺に転移していた。
1979年1月、惜しまれつつ逝去。
死後まもなく次女誕生。