遺されていた赤い手帳
ドクターストップぎりぎりの体調で出かけたオーストラリアへのお別れの旅。
このとき郁代が30人ほどの方とお会いしたことを知ったのは、
遺されていた赤い手帳を開いたときでした。
前にも書いた記事を再びです。
遺されていた赤い手帳には、
シドニーへのお別れの旅で、郁代がお会いする方のメモが記されていました。
(2005年)
2月24日 関空20:20 R38 & H53
2月25日 Sydney 着 (10:50)
Lunch Taka
Dinner Jimmy
26日 Morning Sayuri
Lunch Hiromi
Dinner Mami & other
27日 Lunch Erwin , Kinuko & Sunny
2月 28日〜3月3日 この間も、
1日も欠かさず友人、知人に会い続けていました。
3月4 日 Lunch Sandra
Dinner with JIS(*会社の日本人部門)
3月5 日 Sydney 発 (10:15)
数えてみたら、オーストラリアで、
合計30人ほどの方にお会いしていたのでした。
ノートには、メールアドレス一覧表も残されていましたから、
郁代が亡くなってから、
私は一人ひとりにメールでお礼を伝え始めたのです。
「お世話になりました。ありがとうございました」
まだ一度もお会いした事の無い方々から、
沢山のメールが返ってきました。
八年間のオーストラリアでの郁代の様子が、
少しずつ私にもわかってきました。
郁代はいつでも楽しそうでした。
私には、とてもうれしいことでした。