「本泉寺」

きのうのつづきです。


新任での医王山小学校の冬は、
年が明けると歴史に残る「38豪雪」となりました。
金沢市では1963年(昭和38年)1月、史上最高の積雪181cmを記録。
その時、駅前の金沢東別院近くに住んでいましたが、
2階から出入りしたものです。
除雪されない狭い道を歩くと、電線に手が届いたことおぼえています。


バス全面ストップでの山の学校への通勤は、
職員全員が一度集合してから雪道を歩きます。
学校に着くのは正午、汗でぬれた下着を着替えたら、
再び帰り道を歩き始めます。
授業する時間はなく・・・雪は止みません。


ついに、教員は村の民家へ分散しての下宿となりました。
私のお宿は「本泉寺」に決まりました。
私が受け持った4年生のクラスに、本泉寺の息子さんがいたからでした。
このころ、お寺に関心があるわけでもなく、
本泉寺が蓮如上人ゆかりのお寺とはつゆ知らず、
“ひとっちゃんのお家”に泊まっていたわけです。



本泉寺




蓮如上人作「九山八海の庭」




☆ 二俣「本泉寺」は越中瑞泉寺如乗(本願寺第6世巧如上人の子、
蓮如上人の叔父)が創立。
蓮如上人が宝徳元(1449)年から3年間滞在したとも言われ、
蓮如上人の旧跡として有名。
現在の境内には蓮如上人作と伝えられる「九山八海の庭」(県指定名勝)など、 見所が多い。
その他、本泉寺には、南蛮屏風・かわうその献上したという長谷部国重作の短剣・蓮如筆のつぶら児の名号・
蓮如上人鏡の御影・帖外御文・文明開板正信偈和讃・
本泉寺開基仏などの品物が宝物として大切に保存されている。
なお南蛮屏風(「紙本着色南蛮渡来図」)は、県文化財となっている。


☆ 二俣は金沢の東部、医王山の美しい容姿にいだかれた山峡の集落。  
ここは、富山県の県境に近く、
尾山(金沢)から二俣を経て砺波の里にぬける道が、加賀・越中を結ぶ最短通路であったことから、
この辺の処々に蓮如上人布教の足跡が見られる。


雪で埋まっていたとはいえ、もったいないことに、
蓮如上人作「九山八海の庭」を眺める部屋で下宿していたことになります。
何とありがたい仏縁でしょうか。


あれから50年、
同窓会の席では教え子の“ひとっちゃん”ですが、
今は「本泉寺」住職として布教に大忙し、
仏教講座では私の師となって下さっています。



蓮如上人仰せられ候ふ。
信のうへは、たふとく思ひて申す念仏も、またふと申す念仏も仏恩にそなはるなり。
他宗には親のため、またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。
聖人(親鸞)の御一流には弥陀をたのむが念仏なり。
そのうへの称名は、なにともあれ仏恩になるものなりと仰せられ候ふ云々。
          『蓮如上人御一代聞書(179)』


蓮如上人のお言葉が、温かく身近に感じられるのでした。