如来さまのお悲しみ

歩く私は、あっちこっちと横道や、細道に入っていきます。
珍しい花に出会えるという楽しみが待っていて、とても癒されます。
スカイツリーならぬ、
「スモークツリー」というのだそうです。




先日の東井義雄先生のお話「み手の真ん中」では、


      如来さまのお悲しみの中でも、
      一番きびしく深いお悲しみは、
      代わってくださることのできないお悲しみ
      であるのではないでしょうか


が深く心に残りました。


「郁代と代わってやりたい・・・」
と何度願ったことでしょう。
私にそんな慈悲が備わっているはずがないのに、
そう思えるのはどうして?・・・と不思議でしたが、
「代わってやりたい」は如来さまのお悲しみだったのでした。



・・・・・
息子のその問題に出遇って、
「代わって貰えないことよりも、
代わってやれないことが、こんな厳しい辛いことであったか」
ということにぶつかったわけです。


ところがそのことについても、目覚めさせて貰っていますと、
如来さま自身が、私に代わってくれることが出来ない。
代わってやれないからこそ泣かずにはおれない。
そういう如来の大悲の中の私の悔やみ事であった、
と目覚めさして貰った時、
「私一人が代わってやれないことを嘆いているのではなくて、
如来さんと一緒にこの苦しみを味合わせて貰っているんだ」
と思いますと、なんか救われた気持がしてきましてね。


私が息子に代わってやれないように、
如来さまも、
私にも息子にも代わってくださることができないのだと気づかせていただきました。
・・・・・


郁代も私も「み手の真ん中」如来の大悲の中にいたのでした。
郁代に遇わせていただき、有難うございました。