無量無数のご縁によって助かったいのち

“どこかへしまったまま”だったのに、最近みつかったのです。
これはオリンピックの金メダルではありませんよ。(笑)
おもてに“表彰”と書いてあることも、
裏に私の名前が記名されていることも、初めて知りました。
この事件については以前にも書いたのですが、こんなことがありまして。

毎日のように報じられる水難事故。
痛ましい記事に接するたび、
水辺パトロール浅野川の現場を通るたび、
あの日のことを思いだします。

その年、七月の下旬なのにまだ肌寒い日が続いていました。
雨上がりの川は濁流、増水していました。
写真の道をいつものように歩いての帰り道、
「たすけて〜」
の声が前方から聞こえてきます。

急いで近くまで行き、声のする方を見ると、
川の中央あたりで赤い服の子供がなにやら杭につかまっていて、
スイミングに親しんでいる私には安全に助けられる状況…
その子は階段を下りて水辺に近づいたのでしょう。

「助けてあげるからね〜」といいながら、
ぬるぬるとすべる石に足を取られないよう、
流れの中を慎重に進みました。
冷たい水は私の胸まであり、
子供の手がいつ杭を離すかわかりません。
でも「三年生くらいなら、まだ大丈夫だろう」とあわてませんでした。


         (写真はすべて2011年のもの)

胸に抱きかかえて岸に戻ったら、
間もなく救急車や消防車がサイレンを鳴らして何台も集まってきました。
誰かが通報したのでしょう。
一緒に遊んでいたらしいもう一人の子は、
大人に知らせるため帰ったようではじめからいませんでした。
「子供が流された。もう助かってはいまい」と、
かけつけた誰もが思ったようでしたから、
岸の子供を見てびっくりです。

3年生ほどと思っていたその子は5歳の男の子でしたから、
時間との戦いだったわけです。
流されるとき、偶然にも腕にひっかかったのは
友禅流しの杭、その杭をしっかりと握っていたのです。

「たすけて〜」の声がしたときは人ひとり周りにはいなかったので、
子どもを岸にあげたら家まで送り届け、「ハイ、さようなら」のはずだったんです。

ところが新聞記事に、テレビのニュースで・・・となり、
勿論その日のうちに家族に知られることに。
「そんな時は、通報するのが鉄則だよ」
と息子からは叱られる(?)やら・・・。
ホント、みなさん真似をしてはいけません!!
九年前のことでした。

あの時、あの場所を通ったのが、どうして泳げる私だったのでしょう。
通ったのが5分前でも、5分後でも助からなかったかもしれません。
どうしてあの時だったのでしょう。
いくら考えても不思議でなりませんでした。
私が助けたのではない。
仏様の大きな計らいの中にいた、と思わずにはいられませんでした。

後日表彰の話が・・・、
「転んでいた子を、起こしただけですから」と断ったのですが、
「私は消防の仕事について八年目ですが、
燃え盛る家の中から犬を一匹助けだしたことが一回あるだけなのですよ」
水難事故防止を啓蒙するためにもそんなわけにはいかないと説得されました。
でも、人命救助の表彰をするといった市消防署長にしても、
60代の女性が助けたのでは危険この上もなく、困ったことでしょうね。
なにしろ、救助した人が溺れて死亡するニュースは後を断ちませんから。


幼い孫はメダルを欲しいばっかりに、
「わたしも川(用水)へ入って助ける」と、
なんとも物騒なことを言い出すもので、話題がそれ以上盛り上がらないように、“どこかへしまったまま”だったのです。

小川一乗先生は、善いことをした時も、「無量無数の因縁によってそれをおこなっている」とおっしゃっていますが、
この日の出来事を言い当てるのにこれ以上の言葉はありません。

・・・・・
小川:  そうですね。例えば、「自分が何をするか」という、「自分で決断した」と、人は言うけれども、さあ、ほんとに自分で決断したんでしょうか。
「周りのいろんな条件がそういう決断をさせたのであって、自分がしたわけじゃない」
ですね。
そのところを、「人間は自我が強い」ですから、善いことをした時は、
「私がした」と言いますね。
 金光:  そうですね。
小川:  「悪いことが起これば、社会が悪い」と、責任転嫁しますね。
しかし、「善いことも、悪いことも」考えてみれば、
「周りのいろんな因縁の中でそれを行っている」
ということなんで、そこのところを、お釈迦様は、
「無量無数といっていいほどの因縁が」、
もう少し理屈っぽくいうと、「条件が」この私を形成しているということをお説きになられたんだけれども、
それを聞いた大乗仏教の菩薩たちは、その「因縁を如来」と言い換えて、
「無量無数の如来様が、仏たちがこの私たちをお作り下さっておる」と。
そういうふうに、深いところで、その釈尊の教えを了解していったということがあるわけですね。
・・・・・

私の身に起こったもう一つの出来事、
「無量無数といっていいほどの因縁で」郁代が助からなかったことは、
すぐには受け入れられませんでした。
                             (つづく)