「金沢・現代会議」

「金沢・現代会議」の様子




鈴木大拙館開館1周年記念  無料開放とライトアップ(18日、19日)

                   10月19日北国新聞より



鈴木大拙館開館1周年を記念しての
「金沢・現代会議」(主催金沢市)が昨日金沢歌劇座で行なわれたので聴講してきました。




−現代に生きる・現代を生きる−


 鈴木大拙が生まれ、鈴木大拙館が建つここ金沢で
 現代に生きる人の生き方、人と人とのつながりなどについて
 多様な分野の識者が、大拙の眼差しのもとで語り合う
 金沢・現代会議を開催します。

 
<講演>
  上田閑照氏 [京都大学名誉教授]
  姜尚中氏  [東京大学大学院教授]
  玄侑宗久氏 [作家、福聚寺第35世住職]

 <パネルディスカッション>
  (パネラー) 上田閑照氏、姜尚中氏、玄侑宗久氏、
        岡村美穂子氏[鈴木大拙館名誉館長]
  (コーディネーター) 木村宣彰氏[大谷大学名誉教授]



  
初めてお会いする方ばかりです。
特に岡村美穂子氏は先日
「こころの時代」 で拝見したばかりなので、
直接お聞きできるのが楽しみでした。



その時書きました上田閑照氏のお話しも、
今日、直接お聞きできてとてもよかったです。


上田閑照
大拙は、繕わず巧まないところに大いなるものが現れるという意味の居士号『大拙』の通りだった」
「こんなに木を切ると、人間が狂うぞ」
「限りなくどこまでも内は深い。外は広い」(大拙の言葉)


岡本美穂子氏
「美穂子さん、その音はいまどこで聞いた?」
「私の全身で聞きました。(耳でも頭でもないだろうと)」
「ちがうだろう。全宇宙が聞いたんだよ。
だからあなたが聞いたんだよ」      
先生が全身で示されるのは大説法それ自体だった。



現代においてこそ大拙の視点が大事なのではないか、
というのが今日の会議の要約でした。
満席の会場に、感動の波が広がりました。


帰り道、女性の会話が聴こえました。
大拙の“無心”って、浄土真宗の“帰命”よね」



三人の女性と鈴木大拙(鈴木貞太郎) 上田閑照著より(再掲)
・・・・・
「今は自分一人を残して親しい人々はいずれもこの世のものではない」、
その「残された自分一人」の大拙は、昭和24年6月から、一人で世界を旅し、米国内の諸大学を移動する。
八十歳を過ぎてからの「一人」は身にこたえるものがあったであろう。
「旅も何もかも、いつも一人」とある手紙の最後に書き添えている。
また「ひとりでは、なんだか物足りぬ、…。 年取ってからは、旅は、楽なものではない、何の因果かと思うこともあるが、しかし、やらねばならぬと思えば、なんでもない」。


このようにして「一人」を生き、世界の只中で働きつづける大拙に、
ニューヨークで彗星のように一人の少女が現れる。


その人こそ大拙の死まで秘書を務めた岡村美穂子さんでした。
この出逢いこそ、正真正銘の出逢いと呼ぶべきでしょう。


以後、大拙は生き生きと、明らかに生まれ変わったのでした。
その出会いについて、大拙の没後、岡村さん自身が書いている。


ニューヨークに住むハイスクールの一生徒、十四歳の少女が
「仏教のえらい先生が日本からおいでになって」
コロンビア大学で講義があるということを知り、
「どれ、聞いてみてやろう」と
「私も気負っていたのかもしれません」と彼女は言う 。


大勢の大学生や教師たちの間に忍び込み、大拙先生の現れるのを待っていた。
やがて教室の扉が開かれ、片手にこげ茶色の風呂敷包みをかかえた大拙
「風を切るような大股でサッサッと」教壇を目指してまっすぐに歩いてゆく。
教壇にのぼり、風呂敷包みを丁寧に広げ、
和綴じの本を二冊取り出して、その本をめくってゆく。


その大拙の現われにおける身体の動きに、彼女は
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」を感じた。
「先生は、然るべき項を見つけると、静かな口調で話をはじめられました。
私は、その気品ある見事な英語に驚かされました。」
大拙(当時八十歳)の「仏教哲学」の講義が始まった。


講義の内容は十四歳の少女には難しかった。
しかし講義を理解する以上のことを感じ取っていた。
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」と彼女は言う。
人間には大なり小なり自意識による歪みや澱みが生ずるものだが、
彼女が大拙に見たものは、身体化された真実の自然さである。
彼女はそれを見ることができた。


彼女は「先生が全身で示される大説法それ自体」の響きを聞いた。
大拙は、繕わず巧まないところに大いなるものが現れるという意味の居士号「大拙」の通りに、
その存在の現われをもって彼女を説得した。


彼女は、仏教も禅も知らず、素手で、それだけにより直接に大拙の存在の真実性を感じ取ったのである。
仏教界での大拙の連続講演も聞くようになった彼女は、
やがてコロンビア大学付属のホテルに住む大拙先生を訪ねるようになり、
大拙は彼女にとって次第に決定的になってゆく。


「人が信じられなくなりました。生きていることが空しいのです」。
少女のこの訴えを聞いて、大拙はただ「そうか」と頷いた。


「否定でも肯定でも、どちらでもない言葉だと思いました。
が、その一言から感じられる深い響きは、私のかたよっていた心に、
新たな衝撃を与えたのではないかと、今にして鮮明に思い出されます。
先生は私の手を取り、その掌を広げながら、


「きれいな手ではないか。よく見てごらん。仏の手だぞ」。


そういわれる先生の瞳は潤いをたたえていたのです。
・・・・・