煩悩がなくならなくていい







この辺りは親鸞聖人の遺徳に感謝する報恩講が、
各寺院や家庭で10月〜11月に盛んに行なわれています。




お寺の掲示板で見かけました。
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全休さんの「聞其名号信心歓喜」が、聞こえてきました。


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 さて、仏さまとは「智慧を与えて救うという働きである」といいます。
智慧が「光」に象徴されるのは、
光には形がなく、形がないから対象を選ばず、
すべての心を照らし、照らされるということにおいて見えるということがあります。
煩悩しかない凡夫の心に不思議にも悟りの智慧が生ずる。
そのことによって
「自分の心がありのままに見える」ということが起こるのです。

 
 智慧が生じて心が見えた瞬間の喜びを
「聞其名号信心歓喜」(もんごみょうごうしんじんかんぎ)といいます。
廻心とも心の往生ともいいます。
見えることが喜びであり、見えることが救いです。
見えることが救いであるということは、
煩悩がなくならなくていいということです。
煩悩(はからい分別)の中に生きるのが人間の本質ですから、
「不断煩悩得涅槃」、
煩悩をそのままにして救われよというのです。


 仏さまという「救いの働き」は、わたしたちの口に出る「南無阿弥陀仏」のお念仏に成就していますから、南無阿弥陀仏のお念仏が仏さまです。
お念仏は「わたしが称える」と思っているのでしょうが、
仏さまのお促しで念仏が出ているのに、
それを「わたしが念仏している」と、お念仏を勝手に私物化しているのです。
お念仏は出るままにして、出るたびに、
「救われよ」という仏さまのお促しであると理解してください。 

 
 南無阿弥陀仏
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有難うございました。