人は生きているだけで100点

荒天が続いた後の青空が、こんなに気持ちのよいものだったとは・・・。
“もう春が来た”と思ったのは一瞬で、これから冬本番を迎えるのです。








『生きてるだけでまるもうけ』


以前聞いた言葉が心に残っています。
今日の新聞声欄に、7日掲載記事への応援メッセージが載っていました。



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人は生きているだけで100点

                   広島県呉市 主婦 水野美弥子(79)


7日に掲載された「人、何のために生まれたのか」
を読ませてもらい、力強い気持ちをもらいました。
 周辺に高齢者の方が多く、
「わたしゃ何のために生まれたんじゃろう」
と愚痴を述べられる方が多いです。
たしかに体のあちこちに障害を抱え、
何をするにも人の手を借りなければならない。
そんな自分の体が疎ましく思えるからでしょう。


東本願寺の堀端の行灯に記してあるという祖父江文宏さんの
「人は何かの役に立つために生まれてくるのじゃないのです」
の言葉に元気づけられるでしょう。
私も、「生きる意味は何か」を問うて悩んだ日々もあった。
今はそのようなことは考えず、同じ日々を繰り返している。
誰かが気遣ってくれ、私も誰かを気遣う。
それで十分ではないだろうか。


「自殺しようか」
というほど思いつめている人に伝えたい。


人は生きているだけで百点です。
もし誰かの役に立つことができるのなら二百点なのよ。
                      (朝日新聞12月14日)
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7日の記事から再掲します。
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「人、何のために生まれたのか」
               (大阪市生野区 高校講師 崎山誠 63)


京都市の勤め先へ通う途中、東本願寺前の堀端を通る。
太陽電池式の行灯(あんどん)10基が並び、
それぞれに仏教に関する箴言(しんげん)がしるしてある。
その一つに目がとまった。


「役に立たなくていいです。
人は何かの役に立つために生まれてくるのじゃないのです。
                            祖父江文宏」


そもそも、人は何のために生まれたのか。
それで思い出すのは、昔見たTVドラマで、
宮沢賢治が病床の妹にこの質問をされて、次のように答えたことだ。


「それを考えるために生まれたのだ」


確かに「何のために生まれたのか」の答えは簡単には出ない。
厳密な正解もないだろう。
だから、
「何かの役に立とう」と努力してきた人が途中で挫折することもある。
そうした人は、祖父江さんの言葉に安堵するだろう。
私も、「生まれたからにはささやかでも誰かの役に立ちたい」
と願ってきた。
それがかなわなくても、
その努力だけはまだこれからも続けたいと思っている。
                        (12月7日)
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「人は生きているだけで100点」
郁代が届けてくれたようでした。