心を弘誓の仏地に樹て

以前頂いた、『篤く三宝を敬え』  鉄乗・書




お話しを伺った
浄秀寺さんのお部屋で、藤原鉄乗師の書かれた掛け軸を拝見させていただきました。

     
     『樹心弘誓佛地 
      流情難思法海』



大谷大学読むページに、このようなお話しが載っていました。



「心を弘誓の仏地に樹て、情を難思の法海に流す。」
             親鸞浄土文類聚鈔』(『真宗聖典』p.409)


 私たちは人生の依り処となる大地を見失い、
欲望が渦巻き怒りが逆巻く海のなかに漂っているのではないか。
いろいろな痛ましい事件を眼にしたり耳にしたりするとき、
そういう思いを強くもちます。

 
 うえにあげたのは親鸞(1173-1262)が、
玄奘(げんじょう)三蔵(602-664)の『大唐西域記』(世界三大旅行記の一つ)によってつくった言葉です。
玄奘は、インド亜大陸の北西、ヒマラヤ山脈の西にあるカシミール地方について次のような物語を紹介しています。


 かつてクリタ族がカシミール国を支配し、仏教を弾圧した。
隣国の王で熱心な仏教徒でもあったヒーマタラは三千人の勇士を募り、
商人に化けてクリタ族の国に入り、さらに五百人の烈士とともにクリタの王を滅ぼして、その地に再び仏教を興した。
 この物語のヒーマタラ王という人物が、次のように紹介されています。


 心を仏地に樹て、情を法海に流す。
(心を仏法の大地にしっかりと立て、思いを教えの大海に流している。)
 

親鸞は、この言葉に「弘誓(ひろい願い)」と「難思(思いをこえている)」とを加えて、みずからが教えに出あえたよろこびを表明したのです。

 
 大地に根をもたない樹木は逆風で簡単に倒れます。
お金を依り処にした心は、貧乏によって挫けます。
名誉を依り処にした心は、謗りによって動揺します。
知識・理想を依り処にした心は、現実によって崩れます。
心がしっかりとした依り処をもたなければ、私たちの思いは、その時代に流行っている思想に追従し、社会の価値観に押し流されるしかありません。


 大地にしっかりと根をはった樹木が大風によっても倒れないように、
しっかりとした拠り処に心の根をおろした心は倒れることはありません。
だからこそ私たちは、順境も逆境もひとしく人生の縁とする仏法の大地にしっかりと心の根をおろすことが必要です。
私たちの心を仏法の大地にしっかりと立てれば、
私たちは、みずからの思いを、人生の順境も逆境も見通した教えの大海に流すことができるのです。