母のような存在になれたら

朝日新聞の「声」欄(1月8日)が心に残りました。

   
   私にとって育児は、
   仕事である内科医としての当直や夜間呼び出しとは
   比べものにならないほどしんどかった・・・
   娘が大きくなって子どもを持った時、
   私も娘にとって母のような存在であれたらと思う。


   




郁代がシドニーで迎えた初めての母の日、 贈られてきたカードに、
何か似たようなこと書いてあったなあと、ふと思ったのでした。


Happy Mother,s day!
お母さん、母の日おめでとう!
・・・・・
お母さん、これまで本当にありがとうね。
私の次の目標は、お母さんのようなお母さんになることかな?
子どもが泥んこになって帰ってきたら、
「こんなに泥んこになるまで、一生懸命遊んできて、えらいね!」
とほめてあげるようなお母さんに。
・・・・・


「泥んこになって帰ってくる、“郁代の子ども”をみたかったなあ。
やっぱりユニークな子で、周りのみんなを笑わせてくれただろうな」
そんな母の本心を痛いほどわかっていたから、
あなたは遺書に書いたのですね。


・・・・・
心配ばかりかけてごめんね。
親孝行できなくてごめんね。
孫の顔、見せられなくてごめんね。
おとうさん、おかあさんより先に死んじゃってごめんね。
・・・・・



郁ちゃん
あなたが亡くなってからお兄ちゃんに生まれたミクちゃんが、
みんなを楽しませてくれています。