阪神大震災きょう18年 

しあわせ運べるように


6434人が犠牲となった阪神大震災からきょうで18年。
発生した午前5時46分を中心に、各地で追悼行事が行われています。


郁代が青春時代の四年間を過ごした神戸。
大学時代に住んでいた東灘区が、
最大の被災地となったのは卒業した翌年のことでした。
成人式のため金沢に帰省していた後輩は、神戸に戻った翌日犠牲になりました。


「震災で壊れた家屋の下敷きになったのは、私だったかもしれない」
郁代は父と二人、お世話になった“親戚の人”を訪ねて
線路伝いに避難所へ向かいました。


郁代の弔いにおいでた神戸の“親戚の人”は、
「あの時郁ちゃんのリュックには、タオル、洗剤、ティッシュ、歯ブラシ、飲み物・・・など、すぐに使えるものがいっぱい入っていて、本当に助かったのです」
と言われました。


前にも書いたのですが、今日は“神戸にいた時の郁代”に会っています。
郁代大学生の時、教育実習で担当した教え子からの作文が残っていました。


大浦いくよ先生へ    
         三年五組    村原じゅんこ
大浦先生が初めてわたしたちの教室に来た時、
私はやさしそうな先生だなあと思いました。
あってから何日かすぎてわたしは、給食の時間、
「大浦先生、もうみんなの名前おぼえた?」と聞きました。
大浦先生は、「もう、ほとんどおぼえたよ」と言いました。
わたしは、「じゃあ、わたしの名前は何でしょう?」と聞きました。
大浦先生は、「村原じゅんこちゃんだよ」と言いました。
「ピンポーン。大正解だよー」
とわたしは言いました。
おぼえていてくれたので、とてもうれしかったです。
ドッチボールなどで遊んで楽しかったけど、もうお別れですね。
短い間だったけど、本当にありがとうございました。
さようなら。りっぱな先生になってね。


郁代が100mと歩けない身体で、最後の旅をしたのが神戸でした。
24時間テレビ「大浦郁代お別れの旅1」
         「大浦郁代お別れの旅2」