直木賞に『等伯』

第148回直木賞安部龍太郎さん(57)の『等伯』日本経済新聞出版社)が選ばれましたね。



都に出て天下一の絵師になる――
武家から養家に出された能登の絵仏師・長谷川信春の強い想いが、
戦国の世にあって次々と悲劇を呼ぶ。
身近な者の死、戦乱の殺戮……
それでも真実を見るのが絵師。その焦熱の道はどこへ。


長谷川等伯は七尾に生まれ、実家は能登守護畠山氏の家臣で、
幼少のころ、絵師で染物屋を営む長谷川家へ養子として入りました。
七尾は私のふるさと、
石川県七尾美術館で開催された新七尾市誕生記念展(2005年)では、
「松林図屏風」(国宝・東京国立博物館蔵)が公開され感動したものでした。
この作品は日本の水墨画の最高峰といわれています。


七尾美術館で毎年行われる「長谷川等伯展」 では、
「複製 松林図屏風」(七尾美術館所蔵)が展示されます。


能登鉄道には、ラッピング電車「国宝 長谷川等伯号」が走ります。


JR七尾駅前に建つ 「等伯旅立ちの像」


松林図屏風について
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「松林図」は50歳代の作と推定されている。文禄元年(1592年)等伯が祥雲寺障壁画(現・智積院襖絵)を完成させた翌年、息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっており、その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたとも言われる。
等伯の生まれ育った能登海浜には、今もこの絵のような松林が広がっており、彼の脳裏に残った故郷の風景と牧谿らの技法や伝統と結びついて、
このような日本的な情感豊かな水墨画が誕生したとも想像されている。
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等伯の生まれ育った能登海浜には、今もこの絵のような松林が広がって・・・
とあり、
あのあたりだなあ・・・、
羽咋市内の海沿いの松林が私の頭にも広がってきたのでした。
本を読むのはこれからです。