ただ弥陀におまかせする

  蓮如上人は蓮悟さまに、
  「たとえ木の皮を身にまとうような
  貧しい暮しであっても、
  それを悲しく思ってはならない。
  ただ弥陀におまかせする信心を
  得た身であることを、
  ありがたく喜ぶべきである」と
  仰せになりました。
                   (御一代記聞書109条)

全休さんの「ただ弥陀におまかせする信心」を読ませていただき、
蓮如さんと蓮悟さんが、
「本泉寺」で語らっていられる様子が浮かんできて、
なつかしささえ感じられました。
道路事情がよくなった今は、我が家からも近いのですが、
このあたりの人は親しみを持って“蓮如さんのお寺”と呼んでいます。

二俣 本泉寺山門


本泉寺
越中瑞泉寺如乗(本願寺第6世巧如上人の子、蓮如上人の叔父)が創立。
蓮如上人の七男「蓮悟」が兄蓮乗師を継いで本泉寺に入寺しています。


蓮如上人が宝徳元(1449)年から3年間滞在したとも言われます。
蓮如上人作「九山八海の庭」(石川県指定文化財


私もこの“蓮如さんのお寺”に下宿させて頂いたことがあります。
以前の記事から。
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新任での医王山小学校の冬は、
年が明けると歴史に残る「38豪雪」となりました。
金沢市では1963年(昭和38年)1月、史上最高の積雪181cmを記録。
その時、駅前の金沢東別院近くに住んでいましたが、
2階から出入りしたものです。
除雪されない狭い道を歩くと、電線に手が届いたことおぼえています。
バスは不通になり、学校まで歩けば半日かかります。
ついに、教員は村の民家へ分散しての下宿となりました。

私のお宿は「本泉寺」に決まりました。
私が受け持った4年生のクラスに、本泉寺の息子さんがいたからでした。
このころ、お寺に関心があるわけでもなく、
本泉寺が蓮如上人ゆかりのお寺とはつゆ知らず、
“ひとしちゃんのお家”に泊まっていたわけです。
雪で埋まっていたとはいえ、もったいないことに、
蓮如上人作「九山八海の庭」を眺める部屋で寝起きしていたことになります。
何とありがたい仏縁でしょうか。
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等さんは今では立派な「本泉寺住職」、私の師でもあります。


☆本泉寺の「蓮如忌」
蓮如 が亡くなったとされる4月25日前後に営まれる法要で、
300年以上の歴史がある。
勤行の後、蓮如ゆかりの寺宝が開帳展示される。
戦前は数千人いたと伝わる参拝者数は、近年300人ほどに減少。
期間もかつての6日間から3日間に簡略化されている。