「こころの辛さを抱きしめること」2

Sanaeさんからのメール
「かっこちゃんはなぜ、家族でもない宮ぷーのところに毎日通うのですか? 
なぜメルマガのみなさんは、
障がいのあるお子さんをかわいがって育てることができるのですか?」
へ、かっこちゃんからの返信です。
メルマガ第1261号「宮ぷー心の架橋プロジェクト」(2013年1月18日)からの抜粋です。

「こころの辛さを抱きしめること」2

・・・・・
Sanaeさん、メールありがとうございます。
Sanaeさんのこと、私、すごくいとおしくて、涙が止まりませんでした。
とびきり優しいからこそ、ご自分を責めておられるの だと思います。
私はsanaeさんは、お嬢さんをものすごく愛しておられるのだと思います。
私は、「なぜ宮ぷーを」という質問をいただくたびに、星の王子さまの話を思
い出すのです。

星の王子さまは、自分の星に一本のバラの花を置いてきました。
北風が冷たいとか、虫がいやだといろいろなことを訴えるバラの世話を王子様は一生懸命します。
それから、星にある小さな火山が爆発しないようにすすを掃除したり、
星のバオバブの木を抜いたり、たくさんの世話をしていました。
でも、バラのわがままに困り果て、王子様は星を出るのです。

地球にきて、砂漠にきて、王子様はキツネに会いました。
きつねは、
「飼い慣らしたものには責任がある」
と不思議なことをいうのです。
それはいったいどういう意味だったのでしょう。
地球でたくさんのバラを見て、大きな火山を見て、
自分のバラも火山も、ありきたりの小さな物だったとがっかりしていた王子様はキツネにあって、あることに気がつきました。

地球で出会ったたくさんのバラは自分にとってはなんの意味もないたくさんのバラだけど、
僕の星にあるあのバラは、僕が寒くないかと心配をして覆いを掛けたバラだ。
虫を心配したバラだ。
あの火山も、爆発しないようにすすを掃除した僕の大切な火山だ、
他にない、僕の愛した特別に大切な大切なものだと知るのです。
飼い慣らした(愛をかけた)ものには責任がある。
その言葉の意味が分かった気がしました。

私はそのとき、モロッコにいました。
宮ぷーが倒れて、次の夏に出かけたのはモロッ コ、
星の王子さまの舞台でした。
私自身も、まだ、想いも伝えられずにいた宮ぷーが、どんなに確信していても、
「本当に、かっこちゃんが来るのを喜んでいるの?」
「宮ぷーは本当にわかっているの?何を証拠にそう思うの?」
「なぜ、そんなにしてまで通うの?」
という質問に答えることができずにいました。
そして、自分自身もなぜ、毎日、宮ぷーのところに通うのだろうと思っていたかもしれません。

でも、モロッコの砂漠に立ったときにわかったのです。
倒れたばかりの頃は、息も自分ではできなくて、内臓も動いていなくて、
熱も高かった宮ぷーに「生きて生きて」と言い、
明日はまた生きている宮ぷーに会えるのだろうか、とさえ思ったことがあった毎日。
その毎日があって、私は宮ぷーを大切な一人だと思えるようになっていった。
今日も明日も通いたいと思うようになっていったんだと思います。

自分の子どもや、出会った子どもたちを可愛いと思うのは、
心配事があったり、毎日いろいろなことがあって、
そしていっそう大切に思えていくのだとそうわかった気がしたのです。
ときどき、子どもさんをどうしても愛せないというおうちの方にお会いすることがあります。
でも、愛というものは、最初から表面に表れている物ではないのかもしれません。
もともと奥には持っているけれど、隠されていて、
バラに覆いを掛けたり、水をあげたり、火山のすすを掃除したりするうちに、
実は王子様の心の中の愛が引き出されてきたように、
心配事があったり、大切な子どもだと思ううちに、
引き出されてくるものなのかもしれないと私は思いました。

Sanaeさんも、お子さんを大切だからこそ、心配をして、叩いてしまう。
でも、ときには抱きしめて、自分を責めておられる。
どんなにおつらかったことでしょう。
そして、お母さんからも愛されていないと感じていることはどんなに悲しかったことでしょう。さびしかったことでしょう。

Sanaeさん、私は大好きの魔法を信じています。
「大好き」はいつも魔法です。
ああ、なんて私の子は可愛いのだろう、なんて、なんて可愛いのだろう。
大好きなうちの子ども。
本人にも、そして他の人にも、
そのことを、表面まであがってこなくて、感じていなかったとしても、
まわりじゅうに言いまくるのです。
うちの自慢の娘です。
私の大切な自慢の息子ですと紹介するのです。
大好きなんです。
可愛いのですとそう言うのです。
そうすれば、必ず魔法が起きるのです。

私は成人式に、せいらにも、それから、帰ってきてから、他の誰にでも
「可愛かった、会場中せいらが一番可愛かった。本当の話です」
と言いました。
もちろん、それはわたしがせいらの母親だからですが、
でも、そんなことはいいのです。
せいらが「それは私のお母さんだからでしょう?」と言うと、
「ううん、誰が見てもきっとそう思うよ。せいらが一番可愛かった」
なんて言うのです。
それでいいのです。
子どもたちはそんな母親をばかだなあと想いながらも、
きっと、うれしいだろうと思います。
だからそれでいいとそう私は思います。

叩きそうになったら、
大好きだからと、可愛いからと、どうぞ抱きしめたらと思います。
それは娘さんを抱きしめているようで、
抱きしめられなかったという自分のことも抱きしめていて、
そして抱きしめてほしかったし、
本当はきっと抱きしめたかったお母さんのことも抱きしめることになると思います。
きっとそうだと思います。
Sanaeさん、だいじょうぶ。
今からでもだいじょうぶです。
Sanaeさんのこと、これから毎日思っていますね。   かつこ
・・・・・
明日は、Sanaeさんから、かっこちゃんへの返信です。


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「手をつなげば、あたたかい。」サンマーク出版)