思い出はすべてそのまま残っている
動けなくなり、死を前にしたモリー先生のもとへ、
人生の講義を聞きに沢山の人が訪れました。
郁代は動けるときは友人に会いに出かけましたが、
ベッドに横たわってからは、友人がひっきりなしに、
最期まで自宅に来てくださいました。
お見舞いに来た人たちを励ますのは、
いつも郁代のほうだったなあと思いだされます。
☆「あなたにあえてよかった」に、亡くなる1週間前のこんな場面があります。
この頃、シドニーからひろみさんが来てくださいました。
近くの友人には茶菓を、
県外、海外からの友人には昼食の接待を郁代は私に頼みました。
水も飲めない郁代の前に食事を用意するのは、
身を切られるほど辛いことでしたが、
それは郁代のたった一つの願い事なのでした。
ひろみさんにしては、しばらくぶりの郁代の変わり果てた姿は、
どれほどの衝撃だったでしょう。
郁代の前では辛くてどうしても食べれなかったのに、
むりやり食べようとして、
それでも、この日ピラフを少し残されました。
郁代は、
「おかあさんが作る物は、量が多すぎるから…」
「ひろみさんは、少食なんだよ」と言いました。
(そんなこと、お母さんは知らないもの・・・)
その時は言葉の意味がわからなかったのですが、
後で、気がつきました。
母を非難したのではなく、
一生懸命ひろみさんをかばっての言葉だったのです。
親友として、お互いが精一杯のいたわりを示しあったのでした。
☆「モリー先生との火曜日」より
「思い出はすべてそのまま残っている。死んでも生きつづけるんだ・・・
この世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に」
「こんなに物質的なものに取り囲まれているけれども、
満たされることがない。
愛する人たちとのつながり、自分を取り巻く世界、
こういうものをわれわれはあたりまえと思って改めて意識しない」
「みんな死のことでこんなに大騒ぎするのは、
自分を自然の一部とは思っていないからだよ。
人間だから自然より上だと思っている。
……そうじゃないよね。生まれるものはみんな死ぬんだ」
「(死ぬ準備は)仏教徒みたいにやればいい。
毎日小鳥を肩に止まらせ、こう質問させるんだ。
『今日がその日か? 用意はいいか?
するべきことをすべてやっているか?
なりたいと思う人間になっているか?』」