思い出はすべてそのまま残っている

卯辰山花菖蒲園


動けなくなり、死を前にしたモリー先生のもとへ、
人生の講義を聞きに沢山の人が訪れました。


郁代は動けるときは友人に会いに出かけましたが、
ベッドに横たわってからは、友人がひっきりなしに、
最期まで自宅に来てくださいました。
お見舞いに来た人たちを励ますのは、
いつも郁代のほうだったなあと思いだされます。


「あなたにあえてよかった」に、亡くなる1週間前のこんな場面があります。


この頃、シドニーからひろみさんが来てくださいました。
近くの友人には茶菓を、
県外、海外からの友人には昼食の接待を郁代は私に頼みました。
水も飲めない郁代の前に食事を用意するのは、
身を切られるほど辛いことでしたが、
それは郁代のたった一つの願い事なのでした。


ひろみさんにしては、しばらくぶりの郁代の変わり果てた姿は、
どれほどの衝撃だったでしょう。
郁代の前では辛くてどうしても食べれなかったのに、
むりやり食べようとして、
それでも、この日ピラフを少し残されました。
郁代は、
「おかあさんが作る物は、量が多すぎるから…」
「ひろみさんは、少食なんだよ」と言いました。
(そんなこと、お母さんは知らないもの・・・)


その時は言葉の意味がわからなかったのですが、
後で、気がつきました。
母を非難したのではなく、
一生懸命ひろみさんをかばっての言葉だったのです。
親友として、お互いが精一杯のいたわりを示しあったのでした。


「モリー先生との火曜日」より

「思い出はすべてそのまま残っている。死んでも生きつづけるんだ・・・
この世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に」


「こんなに物質的なものに取り囲まれているけれども、
満たされることがない。
愛する人たちとのつながり、自分を取り巻く世界、
こういうものをわれわれはあたりまえと思って改めて意識しない」


「みんな死のことでこんなに大騒ぎするのは、
自分を自然の一部とは思っていないからだよ。
人間だから自然より上だと思っている。
……そうじゃないよね。生まれるものはみんな死ぬんだ」


「(死ぬ準備は)仏教徒みたいにやればいい。
毎日小鳥を肩に止まらせ、こう質問させるんだ。
『今日がその日か? 用意はいいか? 
するべきことをすべてやっているか? 
なりたいと思う人間になっているか?』」