ただ一度だけの

川べりで、クロイトトンボ


羽を閉じたり広げたり


ただ一度だけの
「オイシイモノ、タベタイ…」
どんなにいいたかったでしょう。


食事ができなくなってから何か月もたっていました。
「あと二週間なら…」
二週間後の十四日、郁代は旅立ちました。


・・・・・
八月一日  
「ひどいなあ。これ以上辛いのに耐えるのは限界…」
「どれくらいならがまんできるの?」と聞くと、
「あと二週間なら…」
「お母さんは、毎日いくちゃんと一緒にいられて、すごくしあわせなんだよ」
今まで弱音を吐く事のなかった郁代が言っているのだ。
本当に限界なのだと思った。
郁代の辛さをわかっていない私が、
「もうすこしがんばって!」
とはどうしても言えなかった。


大好きな、さやちゃん、あいちゃんには、もう会えないと言った。
「かくれんぼして遊んだ時のいくちゃんを、覚えていてほしいから…」
「二人の遊んでいる様子をビデオに撮って、見せてほしい」とも言った。
 

身体が弱って外出できなくなった時、
本を読む楽しみを持っている人は幸せだと思う。
本は世界を広げ、自分と社会をつなげてくれる。
「本を読めばいいんだけど、集中できなくなってきた」
と郁代が言った時、深い悲しみが伝わってきた。
郁代の住む世界が、少しずつ、少しずつ奪われていった。
病の身に、今年の夏の暑さは厳しく、スイカは冷たくておいしかった。
毎日のようにほしがったので、欠かしたことがなかった。
残り時間が少なくなったのは、スイカが食べられなくなった頃だった。


「オイシイモノ、タベタイ…」
いつものようにスイカの汁を吸ったら、すべて吐いてしまった。
この子に、おいしいものを、おもいっきり食べさせたいと思ったら、
私は涙が止まらなくなっていた。
・・・・・                
「あなたにあえてよかった」より 


なにも食べられない身で、
その後も「県外、海外からの友人には昼食をあげて」、と頼んだね。
(そんなことできないよ・・・)
心で叫びながら用意したけど、
あんなに辛いことはなかったよ、郁ちゃん。


病気が再発したとき、一つだけ母は誓いました。
郁代がやりたいことは決して反対しない、
どんなに辛くても願い事は断らない・・・って。