「 二度、生まれる」(5)
こころの時代〜竹下哲 「 二度、生まれる」〜より
長崎県社会教育長 竹 下 哲
ききて 金 光 寿 郎
〈第五回〉
金光: そういうことはもっと昔の方も気が付いていらっしゃったことだと思いますが、そういう言葉が残っているものでございましょうか。
竹下: ええ。『浄土論』と言いますけども、天親菩薩という方が、そういうご本を作っておられまして、棒読み致しますと、
普共諸衆生(ふぐしょしゅじょう)
往生安楽国(おうじょうあんらくこく)
と棒読みで読みます。
読み下しますと、「普」というのは「あまねく」ですね。
あまねく諸々の衆生とともに、安楽国に往生せん、ということです。
「あまねく」ということは、みんなですね。
あなたはあなたのままで、私も私のままで、みんなもろもろの衆生とともに一緒に安楽国に往生致しましょう、という天親菩薩の『浄土論』のお言葉です。
そういう世界なんですね、仏法の世界というのは。
金光: 天親菩薩という方はたしか世親菩薩とも訳される方で、世親菩薩というと、唯識という仏教を確立された方ですが、その方にこういう言葉があるわけでございますか。
竹下: ええ。
金光: ただなかなか「みなともに」というのが難しいことでざいますね。
竹下: 私どもエゴで生きておりますので。
やっぱりお念仏申させて頂く時に、エゴのこの身は変わらないけども、いつの間にか広い世界に出させて頂く。
広い世界を賜るとでも言いましょうか、そういうふうに私は思います。
金光: そういう世界に生きますと、やっぱり自分だけではなくて、いろんな人間、いろんなものと一緒に、ともに生きていくという、そういうことができるようになるわけでございますか。
竹下: ええ。だんだんそういうふうな味わいを深くさせて頂くんじゃないでしょうか。
金光: 何かそういうことを表現して言葉がございますでしょうか。
竹下: 第二番目に申し上げたいと思っておることですけども、『大無量寿経』というお経の中に、
各各安立(かくかくあんりゅう)
という言葉があります。
各々ですね、あなたも私も、自分というものに安んじて、「立つ」というのは、自分の花を咲かせる。
金光: めいめいが自分に安んずる、ということですね。
竹下: それは能力とか性別だとか、或いは歳をとっておる、若い、そういうこといっさい関係なく、それぞれみんな存在の意味を持って生きておるんだ、と。
それが「各各安立」という言葉だ、というふうに私は頂いております。
神谷美恵子さんがいらっしゃいます。
金光: 有名な方ですね。精神科のお医者さんで、
竹下: 長い間、長島愛生園の精神科医長をなさって、或いは津田熟大学の教授もなさった方ですけども、その方のお言葉にこういうのがあります。
痴呆におちいった老人でも、そのような姿で存在させられているそのことの中に、私たちにはよくわからない存在の意義を発揮しているのであろう。
私たちは人間の小さな頭で、ただ有用性の観点からのみ人間の存在意義をはかってはならないと思う。
こうおっしゃっています。でも有用性を問題にするんですね。
役に立つか、役に立たないか。頭が良いかどうか。
或いは仕事ができるかどうか。
有用性も必要でしょうけど、もっと根元的には寝た切りの老人でも、そうしてこの世におるということは、私どもにわからんけども、存在意義を発揮しているんだろう、と。
神谷美恵子さんはおしゃっています。大変含蓄の多いお言葉だと思います。
〜平成四年三月八日、NHK教育テレビ「こころの時代」より〜
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