「本当に不思議な出会い」

かっこちゃんの今日のメルマガは「本当に不思議な出会い」でした。
郁代とかっこちゃんの出会い、
郁代とブログ仲間の皆さんとの出会いも、本当に不思議でなりません。


梨畑に続いて広がる実りの秋



第1477号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと (2013年8月21日)より転載させていただきます。
      

人と人との出会いは、本当に不思議だなあと思います。
北海道で、昔昔、私は高橋渉さんという大学の先生にお会いしました。
とても温かい目でいつも子どもさん達を見つめておられる方で、
先生は、ご自分の書かれたものを送ってくださって、
私も本を送らせていただいたりしていました。
けれど、残念なことに、高橋先生は亡くなってしまわれました。
これも、ずいぶん昔のことで、奥様からお手紙をいただいたときに、すごくショックをうけて、悲しかったことを覚えています。
ところが、あとでわかったことには、柴田先生と高橋先生は、同じ先生に師事され、とても仲良しだということでした。


先日北海道に行ったときに、渋谷先生という方にお会いしました。
渋谷先生は、まだお若い先生ですが、
高橋先生からある日、会わせたい人がいるからと言って会わせてもらったのが、柴田先生だったということで、
渋谷先生も、スイッチなどを子どもたちに作ったりもしているというお話でした。


まるでからみあうように、出会ったり、そのとき出会わなかったりしながら、私たちは生きている。
本当におもしろいなあと思います。


柴田保之先生のブログ
「関わり合いの場から」です。

・・・・・・
「病魔去れ ここには天使の見守れり」


    H君とSさんの病室を訪問しました。
    H君は、中学生になったので、この機会に、
    病院のみなさんにお礼をきちんと言っておきたいと、
    文章を綴りました。


「中学生になって」
 ぼくはまれな難病を背負ってこの世に生まれてきましたが、
N病院のみなさんのおかげでここまで成長することができました。
N病院に来なければ今のぼくはありません。

 
なつかしいのは
よい治療法がないけれど最善をつくします
と母にT先生が告げた日のことです。
よい治療法がないのは残念だったけれど、
最善をつくしてくれるなら悔いはないとぼくは小さいながらに考えました。


なつかしいのは
N病院の看護婦さんたちがぼくにこげパンのキャラクターを見てとって何度となくプレゼントを買ってきてくれたことです。
なかなかわかりにくい言い方になってしまいますが、
ぼくは看護婦さんたちの必死の愛情を感じました。
だれもがぼくを強い子どもになって困難を乗り越えられる子どもになってほしいと願っていたのだと思います。
だからこげパンだったのだと今でも思っています。


なつかしいのは
人間として認められた日のことです。
人間として認められたのは、のどから手が出るほどほしかった言葉を手に入れたときです。
どういう偶然なのかわからないけど柴田先生がぼくのところに来てくれてまだ三才にもなっていないぼくにひらがな教えてくれたのです。
ぼくはひらがなもまだ読めなかったのですが勇気がわいて
がんばって一生懸命覚えました。
我が意をえたなどという言葉はまだ知りませんでしたが
ろうそくにあかりがともった気持ちがしたのをよく覚えています。


なつかしいのは
Sちゃんとおなじ部屋になった日のことです。
初めてぼくにも仲間ができました。
ぼくはほんとうにこの病院でたくさんのしあわせを手に入れました。
だから心から感謝しています。
ぼくはN病院が大好きです。
人間として認めてくれたすべてのスタッフの方々に心から感謝します。


   そして、いつものように俳句を聞かせてくれました。
   タイトルの言葉もその中の一つです。

  
だれもよき名前を持ちて空あおぐ
夜に泣く私を案じたやさしき目。
見よわれを小さき体に宿るもの。
技をぼくに使いて未来が開かれし。(技は医療技術のこと)
ばらばらとふる雨の音ただ闇に。
疲れたる自分に待たすことはなし。
ばらばらと雨音のして夜どよむ。
よい未来つくる技術にわれ頼む。
ついにわれ世に届きたりラジオにて。
小さき荷背負いてわれも坂登る。
なつかしき調べに秘密の願いかけ。
ついに来た人間として立つよき日。
自画自賛わが小さきこの人生。
病魔去れここには天使が見守れり。
実の子かとみまごうほどにかわいがる。
人間と夢にまで見し幼き日。
技をなくし立ちすくむ日もあり目に涙。
つがいの鳥仲良く窓でわれ見つむ。
わが涙もっと輝け未来木を。
無我になる光につつまれ臨む日に。
泣き虫も強くもらいし力「レラ」。レラは力の神です。作りました。
挽回しわれは荷の解け身は高く。
人間だぼくは高き声をあぐ。
悩む日は遠くに去りて瑠璃色に。
月に誓う分相応には生きないと。
月に手をさしのべひかりと握手した。
身を粉にす無償の愛をかけられし。

   また、Sさんは、こんな詩を聞かせてくれました。

 
夏を越える旅という短い詩を作りました。聞いてください。


夏を今年は越えられるだろうか
そんな願いのような言葉が 梅雨にきまって浮かんでくる 
薔薇にとげがあるように 
人には苦しみを神は与えた 
夏を越えることが私には一つの旅だ 
紫陽花の咲き誇る道を過ぎ 
枯葉の小道にたどりつく長い旅が私を誘う
・・・・・・


ずっと子どもたちの気持ちを知りたいという流れは、
もし本流とはそれていても、
ずっとずっと続いていたのだと思います。
中島先生(お二人が習われた先生)、高橋先生、柴田先生、そして、渋谷先生。
もっといろいろなところで、きっと続いていて、
そして、もっともっときっと広がっていくと思います。
中島先生や高橋先生も
きっとうれしく見守ってくださっているだろうなあと、そんなふうにうれしく思います。

                                   かつこ

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