寿を生きる

  

三島多門師のお話しは、高山別院でお聞きしたことがあります。

  
  寿は「よろこび」を表し、天寿・長寿といって短寿とはいわない。
  長短によって限定されない、限りなき、量りなき、よろこびのいのちです。
  

「これまで完璧だった」
郁代のことばが思い出されました。
魚を調理するときに、
「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・・」と念仏していた義母。
郁代もまた祖母の背に負われて、祖母のお念仏の声に包まれていたのでした。       

中村久子の信仰 
      〜両手両足のないままに満足の世界に生きられる身となった 〜                    
                    中村久子女子顕彰会代表  三島多門

寿を生きる
中村久子さん(1897年―1968年。三歳の時、突発性脱疽という病気により両手両足を失う)は寿命の寿を生きた方です。

寿と命を分けては考えられませんが、便宜上分けて考えますと、
命は長命・短命といって長短に限定される、限りあるいのちです。
寿は「よろこび」を表し、天寿・長寿といって短寿とはいわない。
長短によって限定されない、限りなき、量りなき、よろこびのいのちです。

これを一つの言葉にすれば、〝父母からいただいた限りある命に、限りなき寿(よろこび)を生きる〟と表現できます。
これが「寿命を生きる」ということでしょう。

また、「無量寿」とは「阿弥陀」ということですから、
〝お念仏を生きてこそ、寿命を生きる″ということの内実です。
久子さんは「寿」、すなわち「お念仏」に生きた方です。

『般若心経』のあの有名な言葉、「色即是空、空即是色」に「寿命」をあてはめてみると、いのちというものの真実が見えてきます。
色(生命)は空(無量寿)を求めており、
空(無量寿)は色(生命)を生かそう生かそうとはたらいている。

久子さんの無手足の身に無量寿(アミダ)がいっぱいになった。
だから、両手両足のないままに満足の世界に生きられる身となった。
もし無量寿を知らずに終わったら、五体満足の身ですら不平と不満と愚痴で終わったでしょう。


煩悩具足の凡夫
歎異抄』に「煩悩具足の凡夫」というお言葉があります。
煩悩を誤魔化さずに、そのままを受けていくところに、救かって行く道があると教えられています。

久子さんにとって、この教えに一大転換がありました。
煩悩のすべては、この無手足の身の事実から生じている。
こんな身を育てた親をのろい、世をのろい、自分をのろい、
無手足の身を引き受けられない怒りと苦悩のただなかにある久子さんにとって、煩悩を引き受けてこそ救かっていくという教えは、
晴天の霹靂(へきれき)であったに違いない。
思えば、今まで人と比較し、身を引き受けたことがないことに気づいていく。

煩悩具足の身を弥陀の悲願によって引き受け救かっておられる宗祖親鸞聖人を唯一の救いの証しとして、煩悩の出所であるこの無手足の身を自分自身として引き受けていくところに救いがあると覚醒したのです。


宿業の身
久子さんは一八九七(明治三十)年に生まれました。
その時代は「宿業」という仏語は広く一般に日常語としても聞き使っていました。
久子さんもまた宿業という言葉をよく耳にしたことでしょう。
でも、他者から一方的に押し付けられる運命の観念でありました。
そこには、なんでわたしばかりがという悲しさと怒りと愚痴しか出てきません。

でも、お念仏に出遇われてからは、宿業を自覚的に主体的に受けとめ、
〝苦悩を転機に立ち上がる″内容となってまいります。

中国の古典の「窮すれば変ず、変ずれば通ず」の心です。
苦悩を絶対絶命として引き受けた時、
無手足の身であらばこそ、弥陀大悲の自分に注がれていることを、
叫ぶ思いで覚ったのでした。

親鸞聖人の「極重悪人唯称仏・・・」
「この煩悩だらけの私にとって、ただお念仏申すより他、救かるすべはない」
と偈(うた)われたお心に通ずる。

久子さんは言っている。
〝業の深さが、胸のどん底に沁みてこそ、初めて仏のお慈悲が分からせていただけるのです。
業深き身であればこそ、真実、お念仏が申させていただけるのです″と。

加えて、久子さんの宿業は、夜の雪降る中に、祖母の背に負われて、祖母のお念仏の声に包まれていたことを、お念仏申す身となって憶いだしてくる。
この宿業の身であるがゆえに、すでにお念仏に包まれていた「み佛の宿業」をも知ったのであります。                       (なごやごぼう 2013年2月号)

NHKこころの時代
「逆境をあるがままに生きるー中村久子と歎異抄ー」
を改めて読ませていただきました。