“病気になった辛さ”より有り難いこと

浅野川ウオーキングで遠くから撮ったのですが、
冬鳥のキンクロハジロでしょうか 


昨日の糸井重里さんの言葉にあった
   こんなことを学ばせてくれた新幹線の遅れよ、
   その原因になった有楽町の火事よ、ありがとう。

を読んで、
郁代が旅立つ三週間前に言った
   「病気になった辛さより有り難いことやわ」
が思い出されました。

・・・・・
「やさしい家族、すばらしい家族がいたということに気づいたよ。
病気になった辛さより、そのことがうれしく有り難いことやわ」
と郁代が明るく笑った。

身体は辛いはずなのに「有り難い」という言葉が聞けたことが不思議だった。

「自分を納得させられる理由がないから、苦しいよね」
と私が言うと、
「病気だけは、不条理だね。だれのせいでもないのにね」
郁代は、遠くを見つめてそうつぶやいた。

「病気になんかならない、丈夫な身体に生んでほしかった…」
と嘆いた時期もあっただろうに、恨みの言葉は一度もなかった。
「今まで親しんだ友達に、お別れとお礼をいわなくちゃ。
連絡しないまま終わったら、
〝私ってそんな軽い存在だったの?〟と後で落ち込んだらかわいそうだからね。
これから友達がいっぱい訪ねてくるから、よろしくね」

「ああひどい…」
「くるしいなあ…」
身体の状態は少しも良くならなかったが、
だからこそ郁代は、今できることをしたいのだった。
・・・・・
       「あなたにあえてよかった」より

郁ちゃん 涙の中で今日もあなたにあえました。