計らいをこえた大きな力によって

「人ひとりも殺せぬ、というのは、そなたが善き心の持ち主だからではない」

親鸞 完結編   五木寛之・作 
    197回 送りツブテの日(5)  より引用させて頂きました。

(前略)
親鸞は言葉をつづけた。

「人ひとりも殺せぬ、というのは、そなたが善き心の持ち主だからではない。
人は自分の思うままにふるまうことはできぬのだ。
人はみずからの計(はか)らいをこえた大きな力によって
左右されることがある。
こうしようと願ってそうできるとか、
ああはしまいと決めて避けられるとかいうものではない。
絶対にこれだけはやめようと誓いつつも、そこへはいりこむこともある。

だから、善人、悪人などと人を簡単に分けて考えてはならぬ。
そなたとて、人を殺すなど決してしまいと思っていても、
本当はわからないのだ。
いつ人殺しをするかもしれない。

それを業のせいである、という。
しかし、業とは、世間でいう宿命ではない。
結果には必ず原因がある、ということだ。
人は決してわが計らうままには生きられない。
その願うとおりにならないことを、
業をせおっているというのだよ。

そなたも、わたしも、大きな業をせおって生きている。
そのおそれと不安のなかにさしてくる光を、他力、という。

救われる、というのはそういうことではないか。
わたしはそうかんじているのだ」

唯円はだまって親鸞の言葉をきいていた。
あたりの闇が、いっそう深くなった。