『朝顔につるべとられて』

加賀千代女像

 

事件で受けたAさんの傷は快方に向かっているようで、うれしくてなりません。
Aさんは、蓮如真宗の教えを広めた北陸の地への思いが深く、
加賀の千代女への関心がおありの方です。
金沢へお越しの際は開館間もない鈴木大拙館を訪れていらっしゃいます。

『停車場にて』 に続いて
『朝顔につるべとられてー松林宗恵監督』を紹介してくださいました。
有難うございます。

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朝顔につるべとられて貰い水 千代女

僧侶でもある映画監督松林宗恵氏(人間魚雷「回天})がブラジルへの講演旅行で日本人の感性について小泉八雲、加賀の千代女の例を挙げて話をしたところ日系ブラジル人から非常に喜ばれたらしい。

*オランダ人ラフカデイオハーンは小泉八雲の日本名を得て「小泉せつ」なる日本人女性と結婚したが彼女を通じて日本人の心を
「思いやりに満ちた、思慮深い、甚だ情感的な・・・」と表現している。
松林監督は八雲が感じた「甚だ情感的なもの」として和歌、川柳、俳句などに秀でた日本人の特性を想像していたのではないかと説明している。

そして鈴木千代女の「朝顔につるべとられて貰い水」を聴かせた。
この句は一見平凡な句に思われるかも知れないが大和撫子の優しい心を詠った句の好例。
「折角花を開かせた朝顔、井戸の水を汲むには切らねばならぬがそれが出来ないために隣近所へ水を貰いに行く」
その優しい心根が日本人女性そのものだと八雲は感じたに違いない。
この話を聞き終わった現地の日系人が涙を流さんばかりに喜んでくれたという。     
「ブラジルには現在の日本人以上に日本人らしい人々が居る」とは松林監督の感想だ。

上記の俳句については鈴木大拙もその著「禅と日本文化」の中で
「散文的な批評家の記すように、この女詩人が釣瓶に絡んだ朝顔を見て他所に水を貰いに行くのは不必要かも知れぬ。
然し千代女の見方からすれば、朝早く近くの井戸から水を汲もうとして、朝顔を見たとき、それは美の体現であったに違いないー中略ー

美そのもの、かくも新鮮な、心を恍惚たらしめる、かくも神聖にして近寄りがたい、神秘に充ちたる、神の手よりきたままの最初の創作品。
どうしてこの女詩人が、地上の生存にかかわる実用的な理由だけで、朝顔に手をふれて動かしえようか」・・・・・・・・

と女詩人に代わって日本女性の優しい気持ちを代弁している。

ブラジルのあの広大な大地に住んでいる日系の人たちにとって祖国、故国日本は夢の国、そこにこんな詩心が存在することを日系の人々は屹度望郷の念を以て涙を流し乍ら聴いたに違いない。我々日本人は先達の愛した美し国大和の環境保全、日本的なものの保全にもっと心を配る必要が・・・と感じた事であった。

*オランダ人ではなく、
ギリシアアイルランド人の父と、ギリシア人の母との間に生れたイギリス人とのことです。
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巻きついた朝顔の蔓ではなく、
富士山の眺望を妨げたという理由で桜を切った・・・
そんなニュースを聴いたばかりでした。

私の散歩道に鈴木大拙館が、
隣りの白山市千代女の里俳句館があります。