幽玄な世界

踊り流しに少し遅れて、午後7時から9時まで、
金沢城公園で百万石薪能(たきぎのう)が上演されました。

この日の私の本命です。


篝火(かがりび)のもと、
加賀宝生の幻想的で幽玄な世界が広がります。

                      (写真は HPより)


舞囃子) 忠度(ただのり)


(仕 舞) 杜若(かきつばた) 邯鄲(かんたん)
(狂 言) 宝の槌(たからのつち)
 (能)  乱(みだれ)

〈乱〉あらすじ

中国のかね金山(きんざん)の麓、揚子(ようず)の里に、
高風(こうふう)という大変親孝行の男が住んでいました。
ある晩のこと、高風は、揚子の市でお酒を売れば、
富み栄えることができるという夢を見ます。
夢のお告げに従って、お酒の商売をしたところ、
高風はだんだんとお金持ちになっていきました。

高風が店を出す市では、不思議なことがありました。
いつも高風から酒を買い求めて飲む者がいたのですが、
いくら酒を飲んでも顔色の変わることがありません。
高風が不思議に思い、名を尋ねると、
海中に棲む猩々(しょうじょう)だと名乗りました。

その日、高風は、酒を持って潯陽の江のほとりへ行き、
猩々が現われるのを待っていました。
そこへ赤い顔の猩々が現われます。
猩々は友の高風に逢えた喜びを語り、酒を飲み、舞を舞います。
そして心の素直な高風を称え、今までの酒のお礼として、
酌めども尽きない酒の泉が湧く壷を贈った上で、
酔いのままに臥します。

それは高風の夢の中での出来事でしたが、
酒壷はそのまま残り、高風の家は長く栄えたといいます。
まことにめでたいことでした。


能楽について

平成13年5月、ユネスコの“世界無形遺産”において、
能楽は栄えある第一回の認定を受けました。

金沢の能楽は藩主を頂点とし、武家をはじめ、細工所の諸工人がシテ以外の三役を習得したという伝統に培われ、庶民間にも公布したものです。
正月の謡い初め、氷室会、建前、ヨメドリなどにも演ぜられました。

「金沢へ行くと松の上から謡が降って来る(植木屋)」
のたとえは、能楽が庶民の間でもいかに隆盛したかを物語っています。

四百有余年の歴史を有する『加賀宝生』の名称が文献に記されるようになったのは、
宝生流15代宗家宝生友千(紫雪、文久3年金沢で没)が金沢に来てから以降で、また謡い方や所作の一部に加賀独自の特色があることは、
紫雪による流布の影響とも考えられています。

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この日、午後からウオーキングに出かけただけなのに、
百万石行列、踊り流し、薪能と、
こんなに盛りだくさんのイベントが私のために用意されていて、
いいのでしょうか。
もったいないことです。

薪能を観た後は、
夜風に吹かれて、もちろん家まで歩いて帰りましたよ。
家に着いたのが夜10時でした。