「だいじょうぶ」「だいじょうぶ」

白潟美栄子さんは隣町に住んでおられ、
かっこちゃんの「白雪姫プロジェクト1000人集会in総社」へもご一緒しました。

昨夜は 朗読と講演会の夕べ
   『もっと、輝いていんだよ!』
   〜苦しみも悲しみも生きるちからにかえて〜
が、県立音楽堂邦楽ホールでありました。

絵本「お母さん ぼく 星になったよ」

18歳で脳内出血のため、突然この世を去った息子 翔弥君。
母親の白潟美栄子さんは、息子が去って一週間目に、
彼からメッセージを受けるような体験をしました。
小さな頃から美栄子さんを悩まし、そして喜ばせてくれた、
かけがえのない存在だった翔弥君。
ただそばで生きていてくれれば、それで幸せだった…。

 
そんな気持ちが詰まったこの絵本は子供をなくした親たちへのメッセージであり
愛する家族をなくしたすべての人たちへの共感のメッセージです。
また、普通の学校になじめずフリースクールに通う子供を持つ親たちにも大きな関心を呼びました。

自費出版のこの絵本が発売され、地元新聞に紹介記事が出たのが、
「2011年3月11日」朝刊でした。

東日本大震災が起きたのはその日の14時46分18秒。
その後は震災記事で紙面は埋め尽くされ、
1日遅れていたら、本の紹介どころではなくなっていたのです。

美栄子さんはその後、要望のあるところ全国どこへでも出かけられ、
ずっとこの絵本の朗読会を続けてこられました。

ある日のこと、
「とくダネ!」司会者の笠井さんから、
「被災地の皆さんに生きる希望を与える絵本です。
私と一緒に朗読会をしましょう!」
「まずは金沢で!」と声をかけられました。

3年前に絵本を読んで“衝撃を受けた”とおっしゃられ、
1年半前から交流が続いていたのです。

笠井信輔さんは被災地の現実を伝える
  『僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』 (2011年・10月)
を出版されています。

絵本朗読の後の「美栄子さんの語り」から
・・・・・
亡くなる前日は、
バラエティー番組を見ながら、
翔弥と私は、笑っていました。

その日の翔弥は、
いつもより「ありがとう」という
感謝のことばを繰り返していました。
食事をあげると
「おいし〜い!」
「ありがとう!」
ベッドのふとんを直すと、
「気持ちいい〜!」
「ありがとう!」

その、「ありがとう」と言う
翔弥の声、
翔弥の言い方、
翔弥のしぐさが、
なにかが、いつもと違う
翔弥がいました。

「ありがとう」
といいながら、
私の目を、ジ〜っと見つめてきました。     

その目は、なんとも言えない透き通った瞳で、             
私の瞳の奥の深いところを見ているようでした。
私に何かを、伝えたい感じでした。 

そして翔弥は、
休む1時間ほど前に、
何かを思い出したかのように
「あっ!ぼく、あした死ぬわー」
と、か細い声でハッキリといったのです。

それはまるで、
「ぼく、あした、○○君のところへ遊びにいくわー」
といった感じでした。

私が
「えっ?」
と聞きかえすと、
「きこえなかったのならいいよ」
と、翔弥はそう言って
携帯を触っていました。

私は、翔弥の言っている言葉は、
ハッキリと聞こえたのですが、
言っている意味が分かりませんでした。

いつもの翔弥は、不安な事があると、
電気をつけたまま、真夜中まで起きていました。
その日は、めずらしく、夜11時に、
「ぼく、寝るね」
「電気消していいよ」
と言ったのです。

「そう?」
「じゃおやすみなさい」
と私がいうと、
翔弥も、
「おやすみなさい」
それが翔弥の最後のことばとなりました。
・・・・・

「だいじょうぶ」「だいじょうぶ」
光となった今も、お母さんを励まし続ける翔弥君からのメッセージ、
郁ちゃん、それはあなたからのものでした。

20名のボランテアスタッフの皆さんが大活躍され実った今回の企画、
昨夜は大勢の方が参加され、とっても素敵な会となりました。