♪ 僕らは少年探検隊 

ともえさんからの手紙は何度読んでもうれしくなります。
子供時代の郁代に会えるから。

郁代が亡くなってから、
「思い出」や「エピソード」を友人から沢山頂きました。
初めて知ることばかりで、
もう一度郁代に会えて本当にうれしかったです。
友達と過ごした時間の中に、
生きた証をしっかり残して郁代は旅立ったのでした。

そして、これらの手紙は、
ジグソーパズルを解くように
「わたしの知らなかった郁代の人生」
を埋めてくれていったのです。
八年間に亘る「空白のオーストラリア時代」までも。 

私はずっと働いていて忙しく、ほったらかしだったので、
それをいいことに、
子ども時代の郁代は日が暮れるまで外で友達と遊んでくる毎日でした。
このころはまだ、
子どもらしく過ごせる場所も時間も残されていたのでした。
子どもにとって、最後の「良き時代」だったかも知れません。

・・・・・
     ♪ 僕らは少年探検隊          ともえ

 郁ちゃんとの付き合いは、
保育園の頃から数えて三十年近くになりますね。
私と郁ちゃんの思い出と言えばやっぱり小学校時代かな?
学校が終われば、
家に帰りランドセルを置いて一緒に遊んだね。

♪ 僕らは少年探検隊 ♪ 
を大きな声で唄いながらの草むら探検、
川原で水遊び、
水遊びが終わると決まって「のむら」にアイスを買いに行ったよね。

保育園の屋上で星の観察もしたね。
寝転がって星の数を数えたりしたよね。

いつも仲良しだったのに、よくケンカもしたね。
「もう絶交だ!」って言い合って別れたのに郁ちゃん、
次の日も迎えに来て、学校に行ったよね。

下校途中で、二人で見付けた「不思議なキノコ」。
ちょうど国語の授業で『牧野とみたろう』が出ていて、
あの話と同じキノコを発見したんだったよね。
でも、二人で発見したから、
「不思議なキノコ」の証人は郁ちゃんしかいないんだよ…。
・・・・・

「僕らは少年探検隊」・・・
子ども時代の郁代を言い当てるのに、
これほどぴったりの言葉はないでしょう。

はじめはどこを描いたのかわからなかったのですが、
校舎の写真と較べたら、建物の左側とわかりました。

         郁代一年生   最後の木造校舎の絵


           当時の田上小学校