「ツトムくん」

和倉温泉からは、私が住んでいた町が海の向こうに見えます。
いまでは同じ七尾市になりました。

子どもの頃よく遊んだ海です。
私の両親がまだ健在だったので、郁ちゃんもこの海で泳いだね。
牡蠣だなも見えます。


「能登小牧台」HPより 

小学校の運動場は、すぐ横が海でした。

小学校は1クラスで中学校になると4クラス、
小学校からの同級生「ツトムくん」は兄弟が多かったため、
「アッコちゃん」と同じく、中学を卒業すると上京しました。
昭和30年、時代はまだまだ貧しかったのです。

学校時代はひどい吃音に苦しみましたから、
慣れない都会での生活はどんなに大変だったでしょう。

海辺の漁師の家で育った「ツトムくん」の仕事は、
無理なく出来る魚屋さんからでした。

歯を食いしばって頑張ったのでしょう。
大きな水産会社の社長さんになりました。

気が付けば、いつの間にかあのひどい吃音が、
すっかり治っていたのです。

うれしかったでしょう。
誇らしかったでしょう。

今日があるのは、自分を育ててくれた故郷の海のおかげ・・・
温かく見守ってくれた小、中学校の仲間のおかげ・・・

この姿を故郷の仲間に見てほしい!

中学の同窓会にはいつの頃からか、毎回必ず「イクラ1kg」(冷凍)といった高級品が、
40人以上もの参加者に配られるのでした。

ところが、みんなに愛される、どこまでも謙虚な「ツトムくん」は、
がんのため4年前に亡くなりました。

その年行われた同窓会では、
「これが最後なんだ・・・。各地に散らばっている家族全員が、
(同窓会と)同じホテルに集まり、一緒に過ごすんだ」と、
衰弱した体で出席していたのです。
「鯛と鮭の粕漬」のラストプレゼントが配られました。

懐かしい幼なじみと会えなくなることは、どんなに悔しかったことでしょう。

明るくお茶目で誰からも好かれる、万年幹事の“むっちゃん”と“やっちゃん”の尽力で
4年ごとに開かれていた同窓会。
還暦を迎えてからは2年ごとになり、ずっと続いています。

今思えば、「ふるさとの同級生に会いたい」という、
「ツトムくん」や「アッコちゃん」の思いをかなえてあげようと、
みんなが集まっていたのですね。
その思いに答えようとした二人がいたから、
同窓会がずっと続いたのだと気がつきました。


あっ、そうだった・・・
還暦を迎えた年の同窓会では、
「ツトムくん」から重大なことを打ち明けられました。

「ずっと好きだったので、長女が生まれた時、
あなたと同じ名前をつけたんだ・・・」

これ、みんなに秘密。
同級生の誰もこのブログ読んでないもん。

「ツトムくん」、有難うね。
会いたいです。