「忘却の悲しみ」
先日の夏季公開仏教講座は、海法龍さんのお話で、
「存在のかなしみ〜いのちの相・こころの相〜」
でした。
神奈川県長願寺の住職ですが、
開口一番「熊本県天草市の生まれなんです」
とおっしゃいます。
子供の頃近所のおばさんから、長崎の原爆の悲惨な話をよく聞かされたそうです。
昨年亡くなったばかりの8歳上の兄からは、
日々「いのち」について問いかけられていると言われました。
先に逝った人こそ、教えに遇う尊いご縁となると、
わが身を通してのお話でした。
以前読んだことのある次の詩に、
海さんの思いが深く込められていると感じています。
「忘却の悲しみ」
海法龍
過去を忘れ
未来を忘れ
今、生きていることを忘れ
存在の重さ深さ尊さを忘れ
忘れてはならないことを忘れる
同じ過ちを繰り返す悲しみ
これからの子どもたちの悲しみ
目先の利益だけで生きる悲しみ
存在を軽く浅く卑しくしている悲しみ
悲しみを生み出してきた悲しみ
人間であることを忘れた悲しみ
広島・長崎の酷さ
水俣の苦渋
福島の呻き
時計の針はそんなに動いていないのに
忘却の彼方へ追いやられる
国策の果てに辿り着いた今
加害者を作り被害者を作る
みんな仲間なのに傷つけ合う
これが行きたかった場所なのか
何かが違う
人間であることを忘れた悲しみ